一見の価値あり!「江戸東京たてもの園」
江戸検が終了しました。
江戸検を受検された皆さん、お疲れ様でした。
結果は、それぞれ悲喜こもごもであったようです。合格点に達した皆さんおめでとうございます。12月下旬の合格通知が届くのが待ち遠しいことと思います。一方、惜しくも合格点に達しなかった皆さん、しばらくの間はのんびりして、また、新たな気持ちで来年に向けてスタートしてください。
さて、先日、「江戸東京たてもの園」に旧自性院霊屋を見にいってきましたが、「江戸東京たてもの園」には、江戸時代以降の貴重な建物が集められていて、実際に江戸から昭和にかけての建築物の様子を実体験でき、一見の価値があると思います。
そこで、数多くある建物の中から、私が注目した建物をいくつか紹介します。
【三井八郎右衞門邸】
三井惣領家である三井八郎右衛門の屋敷を移築したものです。
戦前は、麻布区今井町にありましたが、今井邸が戦災で焼失し、敷地はGHQに接収されたため、第11代三井八郎右衛門高公は、麻布笄町(現港区西麻布三丁目)に場所を移して本邸を再建しました。
新しい本邸は京都の油小路邸の奥座敷や大磯別邸の部材を用い再建しました。 しかし、三井八郎右衛門髙公が亡くなったことにより、建物が江戸東京たてもの園に移築復元されました。下写真は、客間です。
【高橋是清邸】
高橋是清邸は、明治34年に赤坂の約2000坪の敷地に建てられました。
その後、昭和11年の2・26事件で高橋是清が殺害されるまでこの家で過ごしました。
戦前に多磨霊園に移されて休憩施設として利用されていたために戦災を免れ、平成5年(1993)に江戸東京たてもの園に移築されました。
2・26事件で高橋是清が青年将校に殺害された部屋も残されています。(下写真)
【旧宇和島藩伊達家の門】
旧宇和島藩伊達家が、大正年間に東京に居住するために建てた屋敷の表門です。
タイトルだけを見ていると江戸時代の宇和島藩邸の表門だと思いましたが、大正期の建築であったのが意外でした。しかし、片方に番所があり、堂々たる大名屋敷の風格が感じられます。冠木には伊達家の家紋が設置されています。(下写真)
【八王子千人同心組頭の家】
八王子千人同心とは、甲斐武田家に仕えていた同心衆が徳川家に仕え、国境警備のために八王子に配備されました。その後東照宮の防火と警備が主任務とする日光の火の番が主な役割になりました。10人の千人頭、100人の組頭、1000人の同心がいたことから千人同心と呼ばれます。
【万徳旅館】
青梅市に幕末に建設され、明治初期に増築された旅館(旅籠)です。青梅街道に面して建っていたこの旅館は、富山の薬売りなどの行商人が多く利用していました。
江戸時代の旅籠が実感できる建物で、建物の中に入ると江戸時代の旅人になった気分になれます。(下写真が建物内の様子です。)
【子宝湯】
江戸東京たてもの園には、昭和の建物も残されています。
子宝湯もそんな建物の一つです。子宝湯は、足立区千住元町にあった銭湯で、昭和4年に開業したそうです。
玄関は、神社やお寺にあるような大型の唐破風になっています。
建物の中に入ると、壁にはペンキ絵が描かれていて、洗い場にはタイル絵が描かれているなど、昔なつかしい銭湯のスタイルが残されています。(下写真)
江戸東京たてもの園には、このほか数多くの建物が移築復元されていて、ただ建物を眺めて回るだけでも小1時間、少し丁寧にみると3時間~4時間程度は必要です。でも、1日かけてじっくり見るだけの価値があると思います。
ご興味がある方は、一度ご覧ください。