「代々木」の由来となった樅の木 (原宿散歩⑤)
南参道の神橋とワイン樽の間に、「代々木」という地名の由来となった樅の木があります。
南参道を利用して明治神宮にお参りする際に神橋から30メートルほど歩くと左手に下写真の説明板が設置されています。これが目印です。
参道の脇にあるのですが、ほとんどの人が気が付かずに通りすぎていきます。(かくいう私も、見落としていた一人です。)
そこで、今日は、この樅の木について紹介します。
明治神宮の鎮座場所は「代々木」ですが(正式な町名は代々木神園町です)、「代々木」という地名の由来は、明治神宮のある地に、代々(だいだい)、樅(もみ)の大木があったので、「代々木」という地名がついたそうです。「代々木」という地名の由来にはこれ以外の説もあるようですが、明治神宮では、この説をとっています。
明治神宮のホームページによれば、江戸時代の樅の木は、幹の周囲が三丈六尺(約10.8メートル)あり、髙さは、50メートル以上はあったのではないかと推測されています。残念ながら、この大木は、明治中ごろに枯れてしまい、その枯れた樅の木も昭和20年の戦災で焼失し、その後、昭和27年に新たに植えられたものが現在の樅の木です。現在の樅の木は、植え継がれたものですが、高さは20メートル近くはあると思われる大木です。
下写真の竹垣で囲まれている樹木が代々木の地名の由来となった樅の木です。樅の木の下を通りすぎる人物と比較すると樹高がどのくらいか想像できると思います。
江戸時代の樅の木は、江戸で大変有名だったようで、歌川広重も「江戸土産」の中の一つに「代々木村の代々木」と題して代々木の大木を描いています。
また、小日向水道端(現文京区小日向1丁目)の本法寺の僧だった十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)が書いた江戸市中の紀行文『十方庵遊歴雑記』では、井伊家の下屋敷にある樅の木は稀代の大樹で、枝が50間も広がっていて、幹の向こう側に馬を3匹つないでも馬の首や尾が見えないほどであるなど詳細に書いてあります。
また、明治神宮のホームページによれば、「この木に登れば江戸一円が見渡すことが出来たそうです。徳川時代にはこの木の上から城内をさぐられてはならないと、一般の人が登るのを禁止したという話さえあり、また幕末には黒船の動きをここで見張った」と書いてあります。それほど大きな木だったようです。
この樅の木を御存知でない方は、次の明治神宮参拝の機会に、ご覧になってください。説明板の奥の竹垣に囲まれた木が、「代々木」由来の樅の木です。