三越のライオンを護った東郷神社(原宿散歩⑪)
日本橋三越本店の玄関にあるライオン像は大変有名です。
このライオン像と東郷神社は深い関係があります。
今日は東郷神社と三越のライオン像の関係について書いていきます。
三越の正面玄関にあるライオン像は、長さ2.7メートル、幅1メートル、高さ1.2メートルある大きなライオン像です。(下写真)
このライオン像は、大正3年に三越に御目見えしました。
これは、当時の三越の支配人の日比翁助(ひびおうすけ)のアイデアです。
日比翁助は、ライオンが大好きで自分の息子に「雷音」と名前を付けたほどでした。
三越のライオン像のモデルとなったのは、ロンドンのトラファルガー広場にあるネルソン提督像を囲むライオン像です。大きさはそこの約半分になっているそうです。ライオン像は原型をイギリスの彫刻家メリーフィールドが造り、イギリスの鋳造家エービー・バルトンが鋳造したもので、完成まで3年かかりました。
そして、大正3年に完成し、当時スエズ運河以東最大の建物といわれた三越本館のライオン口に設置されました。
昭和16年12月8日に太平洋戦争が始まると、三越は、役員会を開き玄関にあるライオン像を海軍省に献納することを決めました。
それを受けて、海軍省は、名作のライオン像を東郷神社に献納することにしました。
東郷神社では、境内にあった三笠亭という建物の前面に飾りました。
昭和20年5月25日の空襲で三笠亭は焼失したものの、ライオン像は無事でした。
戦争が終わり、昭和21年10月にライオン像は三越に返還されました。
こうしたことがあって、昭和20年5月の空襲で焼失した東郷神社の社殿の復興の話がおきると、最初に大口の寄付をしたのは三越だったそうです。
東郷神社誌によると、昭和36年7月14日、東郷神社の大貫宮司、東郷神社の復興奉賛会の植村甲午郎副会長(当時の経団連会長)らが三越百貨店の岩瀬英一郎社長を訪問した際、岩瀬社長が初ページに「金壱百万円也」と書きこんでくれたので、訪問者は明るく軽やかな気持ちで帰ってきたそうです。
太平洋戦争中は、金属供出により、多くの銅像が鋳つぶされてしまいました。
三越のライオン像も、東郷神社に献納されてなければ、残っていなかったかもしれません。
東郷神社は三越のライオン像もお護りしてくれたようです。