代々木八幡宮(代々木散歩⑥)
今日から仕事始めで、お仕事をされている方が多いと思います。今年も頑張ってください。
さて、今日は、年末までに書き終わらなかった代々木散歩の続きとして、代々木八幡宮について書きます。

代々木八幡宮は、社伝によれば、鎌倉時代の初め建暦2年(1212)に、鎌倉幕府の第2代将軍源頼家の家臣近藤三郎是茂の家来荒井外記智明(ともあきら)によって創建されたとされています。
荒井外記智明は、源頼家が伊豆の修善寺で暗殺されてから代々木の地に隠棲し、名も宗祐(または宗久)と改めて、日夜亡き主君らの冥福を祈っていましたが、ある夜夢の中で八幡様のお告げを聞き、目がさめると手には宝珠のごとき鏡が残されていました。そこで、代々木の地に小さな祠を建て 鶴岡八幡宮の分霊を勧請したのがはじまりです。
代々木八幡宮は、小田急線代々木八幡駅北口から3分、東京メトロ千代田線代々木公園駅八幡口からは徒歩4分で、大鳥居に到着します。山手通りからは急な石段を登ることになり、代々木八幡宮が高台にあることが実感されます。

《稲荷社・天神社・榛名社》
代々木八幡宮の本殿の東側には、稲荷社、天神社、榛名社があります。
稲荷社は、紀州家側室の延寿院が守護神としてお祀りしていた稲荷社に明治以降に掘出稲荷を合祀したそうです。
天神社は、紀州家側室の延寿院が守護神としてお祀りしていたものです。そして、そこに、玉川上水脇にあった銀杏天神社を合祀したものです。
榛名社は、雨乞いのため、周辺の村などにお祀りされていたものがここ移されたものと考えられています。

《出世稲荷社》
三社の隣には、出世稲荷社があります。
このお稲荷さんは、昭和20年5月25日に代々木周辺が爆撃された際、被害を受けた稲荷社の祠や狐像を集めて、八幡宮の境内に合祀したのが始まりだそうです。
最近は、出世稲荷と呼ばれ、霊験あらたかなお稲荷さんだとして、地元の人々は篤く信仰していると地元の人が教えてくれました。

《代々木八幡遺跡》
代々木八幡宮は標高約32メートルの台地上にあり、その境内からは、石器時代の遺物が発見されていました。
代々木八幡遺跡は、昭和25年の夏國學院大學と地元の上原中学校の生徒によって発掘調査が始まりました。そして、同じ年に渋谷区史編纂委員会が発掘調査を行われました。2回の調査で多くの遺物が出土したうえ、関東ローム層を浅く掘りくぼめた住居と、その中に掘られた柱穴が発見されました。
ここから加曾利E式土器と呼ばれる土器の種類が多数出土したことから、ここには約4500年まえに人が住んでいたと推定されました。
そして、昭和26年には、國學院大學の樋口清之名誉教授により縄文人の住居が復元され、現在も境内には、竪穴式の古代住居が復元されています。

《代々木八幡遺跡の出土品陳列館》
本殿の南西側に、代々木八幡遺跡から出土した品を展示した出土品陳列館があります。(下写真は夕暮れ時の陳列館です)

出土品陳列館には、代々木八幡遺跡発掘の経過、縄文時代の竪穴住居やそこで暮らす縄文人の男女が復元されています。また、遺跡から出土された土器や石器が展示されています。

赤印が代々木八幡宮です。

