金王八幡宮(渋谷散歩①)
代々木駅からの散歩については、前回で一区切りとして、今日からは昨年9月に行った毎日文化センターの渋谷駅からの江戸散歩で訪れた史跡についてご案内します。 渋谷駅 ⇒ 金王八幡宮 ⇒ 八幡通り(鎌倉街道跡) ⇒ 國学院大学博物館 ⇒ 吸江寺 ⇒ 塙保己一史料館 ⇒ 渋谷区郷土博物館 ⇒ 常盤松碑(薩摩藩下屋敷跡) ⇒ 並木橋(鎌倉街道跡)⇒ 渋谷駅
その時のコースは次のようなコースで、渋谷駅から南西方向の文教地区にある史跡を散歩しました。
今日は、まず、金王八幡宮についてご案内します。

金王八幡宮は、渋谷・青山の総鎮守で、金王八幡宮の社殿(下写真)は、慶長17年(1612)の建立された大変歴史のあるものです。

徳川家光は徳川秀忠とお江(崇源院)の間に生まれましたが、両親の愛情は弟の徳川忠長に注がれて、3代将軍は徳川忠長のほうが有力でした。
そのため、家光の乳母春日局、さらい家光の教育役であった青山伯耆守忠俊は大変心配して、青山伯耆守忠俊は熱心に金王八幡宮に祈願し、春日局は祈願料80両を奉納しました。
その後、春日局の徳川家康への直訴もあり、家光が次期将軍と決ったので、祈願成就の礼として社殿と門が造営されました。青山伯耆守は材木を奉納し、春日局は金100両を寄進しています。
拝殿正面左には虎、右側に獏の彫刻が彫られています。


金王八幡宮の神門の建立年代は、明確ではありませんが、明和6年(1769)建立と書いた資料もあることから明和6年(1769)建立説と享保元年(1801)に丹波篠山藩青山忠裕から金150両の寄進があり建物が修理されていることから享和元年(1801)に造られたとする二説があります。

金王八幡宮の御由緒は社伝によると次のようです。
金王八幡宮は平安時代中期の寛治6年(1092)鎮座したとされています。
桓武天皇の曽孫である高望王の後裔で秩父別当平武基は源頼信による平忠常の乱平定において功を立て、軍用八旒の旗を賜り、その内の日月二旒を秩父の妙見山に納め八幡宮と崇め奉りました。
武基の子武綱は、嫡子重家と共に後三年の役の源義家の軍に300騎余を従え1番で参向し、仙北金沢の柵を攻略しました。その大功により名を河崎土佐守基家と賜り武蔵谷盛庄を賜りました。義家は、この勝利は基家の信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の月旗を乞い求め、この地に八幡宮を勧請しました。

重家の代となり禁裏の賊を退治したことにより堀河天皇より渋谷の姓を賜り、金王八幡宮を中心に館を構え居城としました。これが渋谷の発祥ともいわれ、現在も境内に渋谷城砦の石が保存されています。(下写真)
渋谷氏は代々金王八幡宮を氏族の鎮守と崇めました。

赤印が金王八幡宮です。

