金王八幡宮④渋谷川支流の面影(渋谷散歩④)
前回紹介した金王八幡宮の宝物館の中に、中世の頃の渋谷城の模型が置いてあります。下写真がその模型です。
左側の大きな流れが渋谷川です。渋谷川が渋谷城の西側の重要な防御ラインとなっていました。
渋谷川があることが渋谷城が金王八幡宮の場所に築かれた大きな要因と考えられます。
さらに、模型をみると渋谷城の防御ラインは渋谷川だけでないことがわかります。それは、渋谷城の手前にある小さいな川です。これも渋谷城を護る防御ラインとなっています。
しかし、現在は、金王八幡宮の神門の前は、アスファルト舗装されていて、小さな川の面影など、まったくありません。(下写真)
しかし、昭和30年頃まで、門前には小さな川が流れていました。この小さな流れは、「黒鍬谷」と呼ばれる谷間を流れる渋谷川の支流で金王八幡宮の周りを流れてから渋谷川に合流していました。
渋谷城があった頃は、この流れが、渋谷城の掘割としての機能を持っていました。
そして、その川には、太鼓橋が架けられていました。それを写した古写真も残されています。
小さな川に架かっていた太鼓橋の一部が金王八幡宮境内に残されています。
手水舎の手前にある5つの石材がそれです。写真左が手水舎になります。
なお、上流の青山学院大学の西側辺りに、江戸時代に「黒鍬者」の屋敷がありましたが、その屋敷の近くにあった谷であるため『黒鍬谷』と呼ばれています。
「黒鍬者」と呼ばれる人たちは、江戸城内の土木工事や建築工事、荷物の運搬などを担当し、将軍の遠出の際にも雑用のためお供する幕府の下級役人です。