旧陸奥宗光邸(鶯谷散歩①)
今日からは、下谷七福神巡りでご案内した場所を紹介していきます。
下谷七福神については、過去にアップした記事がありますので、そちらをご覧いただきたいと思います。
下谷七福神① (七福神めぐり)
下谷七福神② (七福神めぐり)
下谷七福神③ (七福神めぐり)
そこで、今日は旧陸奥宗光邸をご案内します。
陸奥宗光は、明治の外務大臣として明治27年に起きた日清戦争の講話条約締結、明治27年のイギリスとの治外法権撤廃などを実現し、日本の外交史上に大きな足跡を残した外交官です。その陸奥宗光の旧邸(下写真)が鶯谷にありますが、このことはあまり知られていないようです。

陸奥宗光の邸宅として有名なものが、駒込の旧古河庭園です。
旧古河庭園は、元々は、陸奥宗光の別邸でしたが、陸奥宗光の次男潤吉が古河財閥創業者である古河市兵衛の養子となり、2代目当主となり、古河家の所有となりました。そのため、旧古河庭園と呼ばれます。
旧古河庭園の本館建物(下写真)はジョサイア・コンドルが設計し、大正6年5月に竣工したものです。

それもそのはず、鶯谷の旧邸は、陸奥宗光が、外交畑で本格的に活躍する前の明治16年から明治21年まで住んでいた住宅です。

陸奥宗光は、紀州藩士出身で、坂本龍馬の海援隊に属していたこともあります。明治になって新政府に登用されますが、明治7年に新政府に辞表を提出し和歌山にかえります。そして、西南戦争に加わりませんでしたが、同じ時期に政府転覆活動に関与したため、明治11年に禁固5年の刑を受け山形の監獄に投獄されました。明治16年1月に出獄したあと、明治16年9月にこの邸宅を購入しました。
陸奥宗光は、明治17年4月から明治19年2月まで宗光はロンドンに留学しますが、その留守中、家族がこの家に暮しました。そして陸奥宗光は留学から帰国して明治20年4月に六本木に転居するまでここで過ごしていましたが、明治21年に借金返済と息子のロンドン留学費用の捻出のため、この家を売却しています。
陸奥宗光から購入したのは「ちりめん本」という本を出版していた長谷川武次郎でした。現在も、長谷川武次郎のご子孫が住まわれているということで、敷地内に入ることはできず、敷地外から眺めることができます。
この建物は住宅用建築として建てられた洋館の現存例としては都内で最も古いもののひとつです。
もともとは洋館のほか和風建物が付属した住宅でしたが、現在は、洋館部分だけが残っています。
赤印が旧陸奥宗光邸です。

