鷲神社(鶯谷散歩③)
鶯谷散歩ですが、今日は、酉の市で有名な鷲神社をご案内します。
鷲神社と書いて「おおとりじんじゃ」と読みます。

鷲神社は、江戸時代には「鷲大明神社(わしみょうじんやしろ)」と呼ばれていましたが、明治になって「鷲(おおとり)神社」と改称しました。
鷲神社の御祭神は天日鷲命(あめのひわしのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
鷲神社は「おとりさま」として一般にも親しまれており、毎年11月の酉の日には「酉の市(とりのいち)」が開催され、大勢の人がお参りするので、広く知られています。(下写真は御社殿です)

鷲神社の社伝によると、「酉の市」の由来は「天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運・殖産・商売繁昌に御神徳の高い神様として古来よりこの地にお祀りされていました。その後、日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄り戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、そのお礼参りをさた日が11月の酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが「酉の市」です。」とされています。
「酉の市」は、江戸時代には、「酉のまち」と呼ばれ、歌川広重の名所江戸百景でも「浅草田甫酉の町詣」(下写真)として描かれています。「酉のまち」は「酉の祭」から由来しました。

現在も、酉の市は、境内には熊手をうる屋台が並び、幸せを掻き込む縁起物の熊手を求める人で賑わいます。
また、鷲神社の開運・商売繁昌のお守りである熊手御守は、午前零時を期して打ち鳴らされる一番太鼓と共に授与され、一番先に熊手御守を受けた人には、「一番札」として神社の金小判が授けられるそうです。
拝殿正面には、顔の各場所により違うご利益を授かると伝えられている「なでおかめ」があり、人気があります。

鷲神社は、下町七福神の札所ではなく、「下町八社福参り」や「浅草名所七福神参り」の札所です。
境内には、正岡子規の「雑閙や 熊手押あふ 酉の市」と榎本其角の「春をまつことのはじめや酉の市」という句碑や樋口一葉文学碑などがあります。
下写真は正岡子規の「雑閙や 熊手押あふ 酉の市」句碑です。「雑閙」の字は何と読むのかというのが話題になりましたが、「ざっとう」と読みます。

下写真が榎本其角の「はるをまつことのはじめや酉の市」の句碑です。
句碑の文字は、くずし字で書かれているため、読み取るのが難しいです。

赤印が鷲神社です。

