吸江寺(渋谷散歩⑤)
以前書き始めていた渋谷散歩に関する記事ですが、金王八幡宮関係記事で中断していましたので、再び書き始めたいと思います。
今日は、安中藩板倉家の菩提寺の吸江寺をご案内します。
吸江寺は、國學院大學の東側にあります。渋谷駅から歩くと15分ほどかかります。
吸江寺は、臨済宗妙心寺派のお寺です。
はじめ正保年間、麻布桜田に草菴を営んでいた僧良金石潭に、板倉重宗の妻戸田氏(法名玉樹院殿宝林清月大姉-寛永8年没)が深く帰依して、慶安3年に開山したのが吸江寺です。
元禄14年(1701)、下渋谷村に移りました。それが現在の吸江寺です。ご本尊様は観音様で渋谷区の有形文化財に指定されています。(下写真が本堂です)
吸江寺では、安中藩板倉家の初代藩主板倉重形が中興開基とされています。板倉重形は、京都所司代をながく勤めた板倉重宗の次男です。長男の重郷の系統が板倉宗家とされています。板倉宗家は、延享元年(1744)には備中松山藩主となりましたが、幕末に15代将軍徳川慶喜を補佐した板倉勝静が有名です。
重形の系統は、安中藩を治めた後、陸奥泉藩、遠江相良藩と転封を繰り返した後、寛延2年(1749)に上野安中藩主となり、それ以降安中藩に定置し明治維新を迎えました。
板倉重形が中興開基であることから、墓域には、板倉家のお墓があります。下写真の中央の墓碑は最近のものですが、その後ろには、藩主や正室などの墓碑があります。
安中藩に関係する話題として安政遠足(あんせいとおあし)がありますので、これに触れておきます。
安中は日本のマラソン発祥の地と呼ばれています。
これは、安政2年(1855)安中藩主板倉勝明が藩士の鍛錬のため、藩士96人に安中城門から碓氷峠の熊野権現神社まで走らせました。これが安政遠足(あんせいとおあし)と呼ばれ、安政遠足は、日本におけるマラソンの発祥といわれ、安中城址には「安中藩安政遠足の碑」と「日本マラソン発祥の地」の石碑が建てられているそうです。
この時の時間や着順は重要視されていなくて、ゴールした者には餅などがふるまわれたといいます。 出発地点とゴール地点の距離は約30キロメートルあり、標高差は1000メートル以上あります。
この安政遠足(とおあし)を指示した板倉勝明(かつあきら)は、上野安中藩の第5代藩主です。板倉勝明は、第4代藩主板倉勝尚の長男として生まれ、文政3年(1820)10月27日、父の死去により11歳で家督を継ぎました。安政4年(1857)4月10日に享年49歳でなくなり、弟で養子の勝殷(かつまさ)が跡を継ぎました。
板倉勝明は愛知県西尾市長円寺に眠っていますが、父親の板倉勝尚と次の藩主勝殷は吸江寺に眠っています。
これをもとにした小説が土橋 章宏の「幕末 まらそん侍」です。
この小説を原作として映画『サムライ マラソン』が2019年2月22日つまりまもなく公開されます。主演佐藤健、監督はハリウッドのバーナード・ローズ。プロデューサーは『ラストエンペラー』のジェレミー・トーマスです。
まもなく公開されますが、原作がとてもおもしろかったので映画も観に行く予定です。
赤印が吸江寺です。