「稲むらの火」とは(濱口梧陵②)
今日は「稲むらの火」とは何かについて書いていきます。

今から約160年前の嘉永7年(1854)11月に連続して大地震が起きました。安政東海地震と安政南海地震です。11月4日に駿河湾沖から紀伊半島沖を震源としてマグニチュード8.4の巨大地震が起きました。これが「安政東海地震」です。
それ安政東海地震の発生から約31時間後の翌11月5日午後4時頃、南海(紀伊半島沖から四国沖)を震源域とする大地震が、西日本を襲いました。これが「安政南海地震」と呼ばれる大地震です。
「安政南海地震」では、四国・紀伊半島を中心に、東海地方から九州にかけての地域が大きな被害を受けました。
また、この地震では、地震による被害より津波による被害のほうが大きかったといわれています。
紀伊半島の南西岸から四国の太平洋岸を襲った津波は、紀伊国串本で15メートル、土佐国久礼(現高知県高岡郡中土佐町)で16メートルに達しました。
紀伊半島では、熊野から西の海岸沿いで多くの家屋が流失し、大勢の死者もでています。紀州藩領では流失家屋約8500軒、死者約700人と言われています。
この「安政南海地震」が起きたとき、ヤマサ醤油の7代目当主の濱口梧陵は、故郷の広村に里帰りしていました。
津波が押し寄せた時、濱口梧陵は、「稲むら」に火をつけて逃げ惑う村民を高台へと誘導し、津波から救いました。下写真は、広川町役場の玄関前にある「稲むらの火広場」にある濱口梧陵の像です。

なお、稲むらというのは、刈り取った稲を乾燥させるために積み重ねたものです。下写真は、広川町役場近くの広村堤防に作られて展示されている稲むらです。

この話を小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が「A Living God(生き神様」」として取り上げられました。
それを基に創作されたのが「稲むらの火」です。「「稲むらの火」は、昭和12年から22年まで国語教材として小学校5年の教科書に掲載され、広く知られるようになりました。
広川町の耐久中学校の校庭には、この全文が書かれて掲示板が設置されていました。(下写真)

また、「稲むらの火の館」では、無料で配布されていました。(最上段写真)
そこで、長くなりますが、稲むらの火を掲載しておきます。
お時間がありましたら、下の文章を読んでみてください。
【稲むらの火】
「これはただ事ではない」とつぶやきながら、五兵衛は家から出てきた。今の地震は、別に烈しいというほどのものではなかった。しかし、長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。
五兵衛は、自分の家の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では豊年を祝う宵祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向に気が付かないもののようである。
村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸いつけられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れてきた。
「大変だ。津波がやってくるに違いない」と、五兵衛は思った。
このままにしておいたら、四百の命が、村もろとも一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予はできない。
「よし」
と叫んで、家に駆け込んだ五兵衛は、大きな松明を持って飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んであった。
「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と、五兵衛は、いきなりその稲むらのひとつに火を移した。風にあおられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして、自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。
日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。 山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。
「火事だ。庄屋さんの家だ」と、村の若い者は、急いで山手へ駆け出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うように駆け出した。
高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻の歩みのように、もどかしく思われた。やっと二十人程の若者が、かけ上がってきた。彼等は、すぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声で言った。
「ほおっておけ。大変だ。村中の人に来てもらうんだ」
村中の人は、おいおい集まってきた。五兵衛は、後から後から上がってくる老幼男女を一人一人数えた。集まってきた人々は、もえている稲むらと五兵衛の顔とを、代わる代わる見比べた。その時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。
「見ろ。やってきたぞ」
たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指差す方向を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な速さで押し寄せてきた。
「津波だ」
と、誰かが叫んだ。海水が、絶壁のように目の前に迫ったかと思うと、山がのしかかって来たような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとをもって、陸にぶつかった。人々は、我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進してきた水煙の外は何物も見えなかった。
人々は、自分などの村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み又退いた。
高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐりとられてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。
稲むらの火は、風にあおられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。はじめて我にかえった村人は、この火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。
「稲むらの火」は以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。

