紀伊国屋文左衛門ゆかりの史跡
和歌山県の湯浅町を訪ねた目的の一つに、紀伊国屋文左衛門ゆかりの史跡を訪ねるということもありました。
紀伊国屋文左衛門は、暴風雨の中、紀州から蜜柑を運び大儲けをし、その資金を元手に、材木商を始めて、巨万の富を稼ぎ、吉原で散在し、紀文大尽と呼ばれたということで大変有名です。
その紀伊国屋文左衛門の出生地については諸説がありますが、紀伊国湯浅の別所生まれとする説があります。
そのため、湯浅には、紀文に関係する石碑等が数多く設置されていました。
湯浅駅から2分程度の駅近くに文平の像があります。
文平というのは紀伊国屋文左衛門の幼い時の名前だと言われています。
その文平(紀之国屋文左衛門)がみかん船にのって海の乗り出す雄姿を描いたものです。平成10年に建てられました。(下写真)
湯浅駅から5分ほどのところに勝楽寺があります。
勝楽寺は、平安時代に有田地域一帯に勢力を持っていた湯浅氏の菩提寺として創建され、創建当時は七堂伽藍を持つ大きなお寺でした。
そのお寺の本堂裏側に「紀伊国屋文左衛門之碑」があります。
この石碑は紀伊国屋文左衛門を顕彰するため、昭和34年に建てられたものです。
石碑の前には、「奉納松下幸之助」と刻まれた石灯籠がありました。(下写真奥が石碑で、右手前が石灯篭です)
勝楽寺の北側(徒歩で1分)を国道42号が通っていますが、国道42号沿いの所に紀文生誕地記念碑と刻まれた石碑があります。
この石碑がある地区は別所という地区であり、紀伊国屋文左衛門が生まれたのは湯浅の別所という説があるので、それに基づいた石碑だと思われます。
湯浅から少し離れた海南市の下津港が見える道路沿いに「紀伊国屋文左衛門船出の地」と刻まれた大きな石碑が建っています。
JRきのくに線加茂郷駅からはタクシーを利用しましたが、5分程度で到着しました。ちなみに下津駅のほうが近そうですが、下津駅ではタクシーが拾えないということでしたので、加茂郷からタクシーを利用しました。
このように紀伊国屋文左衛門は紀州湯浅の出身ということで、湯浅では、紀伊国屋文左衛門は有名人ですが、その実像はあまりはっきしていないともいわれています。
7月に、文京学院大学生涯学習センターで、江戸の豪商たちについてお話をさせていただきますので、現地を訪問した情報も含めて紀伊国屋文左衛門についても触れますので、ご興味のあるかたはぜひお申込みください。
講座の概要は次の通りです。
一代で巨大な富を築いた男たち
―江戸の豪商列伝―
日程 7月13・27日
曜日・時間 土曜日 13:30~15:00
詳細やお申し込みは下記ホームページからお願いします。