箱根山(戸山公園)に登頂してきました。
(「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」
昨日は、毎日文化センターの「~山手線一周~駅から気ままに江戸散歩」で新大久保駅をスタートして大久保周辺を散歩して、最後は山手線内で最高峰の箱根山まで登ってきました。
NHKの朝の天気予報では、午後は雷雨になるかもしれないという予報でしたので心配しながら出発しましたが、結果的には、雷雨にもあわず、快適な散歩となりました。
ご参加いただいた皆さん、ありがとうございました。
昨日の散歩ルートは次の通りです。
新大久保駅 ⇒ 皆中稲荷神社 ⇒ 小泉八雲記念公園 ⇒ 小泉八雲終焉の地 ⇒ 稲荷鬼王神社 ⇒ 島崎藤村旧居跡 ⇒ 新宿イーストサイドスクエア(休憩) ⇒ 西向天神社 ⇒ 大聖院 ⇒ 抜弁天 ⇒ 戸山公園(箱根山) ⇒ 東新宿駅
皆中稲荷神社
皆中稲荷神社は、戦国時代の天文2年(1533)に創建された神社で、大久保の鎮守ですが、寛永年間、徳川幕府が鉄砲百人組の組屋敷が現在の新宿区百人町に置かれたことから、鉄砲百人組の人たちに篤く信仰されました。
ある時、鉄砲組の与力が射撃の上達を祈願したらところ夢の中にお稲荷さんがでてきて、翌日、稲荷神社に参拝してから射撃を試みたところ百発百中、全て的中したそうです。他の隊士たちも、それにならって稲荷神社に祈願して射撃をすると百発百中で的中したため、皆中(みなあたる)ということから皆中稲荷神社とよばれるようになったと言われています。

小泉八雲記念公園
明治時代の文人小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、明治29年から亡くなる明治37年まで新宿で暮らしていました。小泉八雲が没した旧居跡近くに小泉八雲記念公園が平成5年に造られました。小泉八雲記念公園は、ギリシア風の公園となっていて、ギリシア大使から寄贈された胸像もあります。近くの大久保小学校の校門脇には小泉八雲終焉の地の石碑も設置されています。下写真の中央奥に小泉八雲の胸像があります。

稲荷鬼王神社
稲荷鬼王神社の創建はご由緒書によれば承応2年(1653)に大久保の氏神として稲荷神社が建てられ、その後、宝暦2年(1752)に当地の百姓・田中清右衛門によって、紀州熊野より勧請された鬼王権現を勧請し、天保2年(1831)に稲荷神社と合祀して「稲荷鬼王神社」となったとされています。
現在では、鬼王権現を祀っている神社は稲荷鬼王神社だけだそうです。

《紅皿の墓》
西向天神社の北側にある大聖院の駐車場の中に、紅皿の墓があります。
紅皿という名前はあまり聞きなれない名前だと思いますが、紅皿は、太田道灌の山吹の里伝説にでてくる女性です。
紅皿の墓の脇に設置されている教育委員会の説明板には次のように書かれています。「太田道灌の山吹の里伝説に登場する少女・紅皿の墓と伝承されている。(中略)道灌の死後、紅皿は尼となって大久保に庵を建て、死後その地に葬られたという。」
その説明板を見ながら説明を聞く参加者の皆さんの様子が下写真です。写真の奥に、紅皿の墓があります。
抜弁天は、交差点の名前として知られていますが、もともとは厳島神社の別名です。
抜弁天(厳島神社)は、応徳3年(1086)源義家が後三年の役で奥州征伐の途上この地に立ち寄り、遠く富士を望み安芸の厳島神社に勝利を祈願しました。奥州平定して京都に帰る途中、お礼のために厳島神社を創建したと伝えられます。
境内が南北に通り抜けでき、また源義家が多くの苦難を切り抜けたことにちなんで、抜弁天として多くの庶民から信仰されてきました。

箱根山
散歩の最後は戸山公園にある箱根山です。
箱根山は、標高44.6メートルあり、山手線内で最高峰です。
箱根山がある都立戸山公園の一帯は、江戸時代、尾張藩の下屋敷がありました。当時は「戸山荘」と呼ばれ、約45万平方メートルの広大な敷地には御殿のほか、池や山がありました。尾張藩の戸山荘は、尾張藩2代藩主の徳川光友が築いたもので、池をつくるために掘った土を盛り上げて造った人工の山です。下写真の奥に写っている山が箱根山です。

ご参加いただいた皆さんありがとうございました。


