鴻池家ゆかりの地
文京学院大学の生涯学習センターの講座「江戸の豪商列伝」では、紀伊国屋文左衛門、三井高利、鴻池善右衛門についてお話します。
そこで、紀伊国屋文左衛門ゆかりの地のほかに、鴻池家ゆかりの地も訪ねてきました。
鴻池家の始祖は鴻池新六といいます。この鴻池新六は、戦国大名尼子氏の武将であった山中鹿之介幸盛の子供といわれています。
新六は、慶長年間に摂津国鴻池村で酒造業を始めました。
鴻池村は、現在は伊丹市となっていて、伊丹市鴻池6丁目にある児童公園に鴻池稲荷祠碑(こうのいけいなりしひ)が残されています。
鴻池稲荷祠碑は、清酒醸造成功記念に建てた当初の稲荷祠が宝暦13年(1763)に壊れたので、天明4年(1784)に再建されたことなどが刻まれているようです。
山中新六は酒造業で成功し、大坂に店を構え、海運業を始めます。酒造業と海運業で財を成した鴻池家は、明暦2年 (1656) に両替屋を始め、今橋通に両替店を移しました。そこが本宅となります。
鴻池本宅は、昭和22年(1947)大阪美術倶楽部に売却され、現在は、鴻池本宅の跡には大阪美術倶楽部が建っています。大阪美術倶楽部の入口に「旧鴻池家本宅跡」と刻まれた石碑があり、それだけがわずかにその名残をととどめていました。
鴻池家の表屋は戦後は大阪美術倶楽部の会館として使用されていましたが、昭和54年に大阪美術倶楽部の改装に際して表屋が撤去される事になり、三宅製餡株式会社がこれを引き取り、奈良市鳥見町の所有地に移築しました。
現在は、「和菓子屋・カフェ」として営業しており、鴻池家の表屋を内部からもみることができます。
鴻池新田は、鴻池家三代目の善右衛門宗利が広大な新開池の跡地を開発したもので、鴻池新田の会所は、その新田を管理を行う事務所でした。
その会所は、宝永4年(1707)に建てられたものですが、現在も東大阪市に残されています。下写真は鴻池新田会所の表長屋門です。
鴻池家ゆかりの地は、兵庫県伊丹市、大阪市、東大阪市、奈良市と一府二県に散らばっていましたので、一日で回るのは大変でしたが、現地をみることができたのは有意義でした。
今回のこのレポートで詳しく紹介しきれませんが、文京学院大学の講座では、もう少し深くご紹介しようと思っています。
講座の概要は次の通りです。
一代で巨大な富を築いた男たち
―江戸の豪商列伝―
日程 7月13・27日
曜日・時間 土曜日 13:30~15:00
ご興味のある方は、下ホームページからお申込みください。