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深川芭蕉庵(新江戸百景めぐり④)

深川芭蕉庵(新江戸百景めぐり④)

 万年橋の北のたもと近くに芭蕉稲荷神社があります。

 芭蕉稲荷神社が『新江戸百景めぐり』(小学館刊)のP154第89景「深川芭蕉庵」として紹介されています。そこで、今日は深川芭蕉庵=芭蕉稲荷神社を案内します。

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 万年橋を南から渡り、最初の十字路を左折すると芭蕉稲荷神社が見えてきます。芭蕉稲荷神社は、大正6年に地元の人たちの手で祀られたもので、境内に芭蕉庵跡の碑があります。

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芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、芭蕉庵と称して延宝8年から元禄7年に大阪で病没するまでここを本拠としていました。

ところが芭蕉が亡くなった後、この芭蕉庵のあった場所は、武家屋敷となり明治になると芭蕉庵がどこにあったかわからなくなりました。

 そうした中で、たまたま大正6年に津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見されたことから、ここが芭蕉庵の跡だと考えられました。

こうしたことから、芭蕉稲荷神社の隣には「芭蕉庵旧跡」と刻まれた石碑がたっています。

深川芭蕉庵(新江戸百景めぐり④)_c0187004_21061653.jpg

 松尾芭蕉は、延宝8年(1680)に深川にある門人の杉山杉風が所有する生簀(いけす)の番小屋に移り住みました。草庵は最初「泊船堂」といいましたが、門人が贈ってくれた芭蕉がよく茂ったことから草庵を芭蕉庵とよぶようになり、自らの俳号も「芭蕉」と名乗るようになりました。

 そして、延宝8年(1680)以後、没年の元禄7年(1694)に至る15年間にわたり、旅に出ている時期を除き、深川の芭蕉庵を拠点に活動しました。

 芭蕉庵は、実は3期に分かれて営まれました。

芭蕉が最初に住んだ第一次芭蕉庵は、天和2年(1682)に起きた大火により焼失してしまいました。この大火は、「お七火事」と呼ばれる大火で白山の大円寺が火元でした。白山から出火して、隅田川を越えて深川まで延焼したということになります。江戸の大火の怖さを知らせる例の一つです。この時、芭蕉は、池の中に逃れて助かったといわれています。

 翌年の天和3年(1683)には第二次芭蕉庵が完成し、そこに芭蕉は住みました。その後、元禄2年(1689)に「奥の細道」に出立するため、芭蕉庵を処分しました。

処分した後、一時的に仮寓したのが、杉山杉風の採茶庵(さいとあん)です。

採茶庵(さいとあん)から芭蕉は「奥の細道」の旅に出発しています。芭蕉稲荷神社から少し歩きますが、清澄庭園の南側を流れる仙台堀川の南に「採茶庵(さいとあん)跡」の説明板があります。

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説明板のそばには縁側に腰掛けている芭蕉像が設置されています。
 ところで、余談ですが、芭蕉庵を提供したり、「奥の細道」に出立するまで採茶庵に芭蕉を宿泊させたりして、芭蕉を支援していた杉山杉風のご子孫が女優の山口智子さんです。NHKの朝ドラ「なつぞら」に現在出演していますので、「なつぞら」に山口智子さんがでてくるたびに、杉山杉風そして芭蕉のことが思い浮かびます。

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 「奥の細道」の旅の終了後、伊賀上野に帰郷した後京都などで遊んだ後、江戸に帰り、元禄5年(1692)に第三次芭蕉庵が完成し、そこで活動します。そして、元禄7年(1694)に上方に旅に出て、京・伊賀上野、奈良を経て大坂に入り、10月12日、大坂で芭蕉はなくなりました。

 芭蕉がなくなった後、芭蕉が暮らした芭蕉庵は、武家屋敷となりました。
 江戸名所図会によれば、松平遠州侯の屋敷内にあると書いてありますが、幕末の切絵図を見ると、紀伊殿と書かれている屋敷内に芭蕉の古跡があると記されていますので幕末には紀州藩の下屋敷内に変わったものと思います。下写真は江戸切絵図のうちの「本所深川絵図」の一部です。左中央に「紀伊殿」と書かれた右に「芭蕉庵の古跡、庭中にあり」と付記されています。

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 しかし、それ以降、明治になって、芭蕉庵がどこかわからなくなってしまいました。そして、たまたま大正6年津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造りの蛙が発見されました。そこで、地元の人々により、石造りの蛙が発見された場所に芭蕉稲荷が祀られたことは前述の通りです。

そして、同10年東京府により芭蕉稲荷の地が「芭蕉翁古池の跡」として旧跡に指定されました。

石造りの蛙は芭蕉記念館に展示されています。出土直後は、芭蕉稲荷神社の近くにある正木稲荷に収められたあと、芭蕉稲荷神社に併設されていた芭蕉堂に移され、現在は芭蕉記念館で展示されているという経緯があるようです。

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 芭蕉稲荷神社の前の通りの西側に正木稲荷神社があり、その裏手の高台が、芭蕉庵史跡展望庭園になっています。

 隅田川と小名木川の合流地点の岸辺に平成7年に作られた庭園です。 庭園の中にも芭蕉像があります。

 芭蕉庵史跡展望庭園は4時30分閉園で、訪ねた当日は5時近くになってしまったため、中に入れませんでした。そこで、以前に訪ねた時の写真がありますので、それを載せておきます。

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 この芭蕉像は北方向を向いて設置されていますが、午後5時になると写真の向きから直角に像が回転し、ライトアップされると聞いていました。
 先日、訪ねた時の隅田川テラスから撮った写真が下の写真ですが、上記の写真は北方向を見ていますが、それと異なって先日撮った芭蕉像は西方向の隅田川を向いています。確かに向きが変わるんですね。

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赤印が芭蕉稲荷神社です。
青印が芭蕉庵史跡展望庭園です。
ピンク印が昨日紹介した万年橋です。




緑印が採茶庵跡の説明板設置場所です。









by wheatbaku | 2019-06-25 20:59 | 新江戸百景めぐり

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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