装束稲荷神社(新江戸百景めぐり⑨)
前回、王子稲荷神社を案内しましたが、『新江戸百景めぐり』(小学館刊)の王子稲荷神社の説明の中では、装束稲荷神社についてもかなり解説されていますので、今日は、装束稲荷神社のご案内をします。

「装束稲荷神社」は、王子稲荷神社とは、京浜東北線を間に挟んだ北側にあります。
王子稲荷神社から行くには、「稲荷前ガード」という歩行者と自転車だけが通行できる小さなトンネルが利用できますので、この道を行けば5分ほどで行けます。

王子駅から直接行く場合は北口からですと徒歩で5分で行けます。
北本通りの一本北側の通りに鎮座していますので見落とさないようにしてください。
装束稲荷神社は、装束榎の根元に祀られた小さな祠が始まりです。
装束榎は、大晦日にここで関東一円の狐が衣装と整えたことで江戸時代から有名な榎です。
「江戸名所図会」には、下図のような挿絵が載っています。

そして、見出しには『装束畠 衣裳榎(しょうぞくばたけ いしょうえのき)』とあり、挿絵には次のように書かれています。
『毎歳十二月晦日の夜、諸方の狐おびただしくここに集まり来たること、恒例にして今に然(しか)り、その灯せる火影によりて土民明年の豊凶を卜(うらなう)とぞ、このこと宵にあり、また暁にありて、時刻定まることなし』。
そして、この装束榎を有名にしているのが、歌川広重の名所江戸百景の「王子装束ゑの木大晦日の狐火」です。

この浮世絵を見た方は多いと思います。
この装束榎の根元に祀られたのが装束稲荷です。
装束稲荷神社の説明板には次のように書かれています。下写真中央にあるのが説明板です。

『今から約千年の昔この附近一帯は野原や田畑ばかりでその中に榎の大木があり、そこに社を建てて王子稲荷神社の摂社として祭られたのがこの装束稲荷であります。
この社名の興りとして今に伝えられるところによれば毎年十二月の晦日の夜関東八ヶ国の稲荷のお使いがこの村に集まりここで装束を整えて関東総司の王子稲荷神社にお参りするのが例になっていて当時の農民はその行列の時に燃える狐火の多少によって翌年の作物の豊凶を占ったと語り伝えられています。」
これにちなんで、王子では、毎年大晦日に「王子狐の行列」が行われています。大晦日まで時間はかなりありますが、もうパンフレットが置いてありました。

「王子 狐の行列」のパンフレットには、次のように書かれています。
「この浮世絵をもとに、王子の街の人たちが数十年前から「かがり火年越し」や「狐ばやし」で事起こしをし続けています。そして、近年、大晦日から新年を迎える伝承行事として「狐の行列」が誕生しました。
除夜の鐘とともに、夜空の下、人が狐に化けて紙の裃やきつね面で装束を整えちょうちんの灯をかざし、関東総司の王子稲荷へと行列します。
新年を迎える人たちにふるさとの心を伝え残す行事となっています」
江戸時代の装束榎は、現在の装束稲荷神社近くの現在の北本通り沿いにあったそうです。
その装束榎は、明治中期には枯れて、それを惜しんだ地元の齋藤さんという方が、「装束榎」と刻まれた石碑を、枯れた榎の根元に建てました。
その後、その石碑は、お稲荷さんの祠とともに一時期別の場所に移転し、その後、現在地に、装束稲荷神社が鎮座され、その境内に移されたそうです。 下写真が2代目(?)の装束榎です。

最後に4代目歌川広重こと菊池貴一郎が書いた「絵本江戸風俗往来」に「王子の狐火」について詳しく書かれています。
菊池貴一郎は、若い頃、王子の狐火を見に行ったことがあり、その実見体験を書いていますので、紹介しておきます。
王子稲荷神社の門前なる畑中に、いとも大きな榎あり。これを装束榎と称したり。
年々12月大晦日の深夜、数千の狐この榎の下に集まりて榎を飛び越すとかや。とぶこと高きに随いて狐の官位の高下のつくとぞ。故にこの榎を装束榎といいける。年々大晦日の夜は必ずこの辺に数点の狐火むらがりて上下せり。
己れ蘆の葉若年の頃、二とせばかり見に行きしことあり。実に聞く所に違わず数百と思うばかりの狐火見たり。
(中略)
かの狐火は見ゆるかとすれば失せ、失せるかとすればまた光り、身の毛もよだつばかりなり。
勿論空高く東天紅の映ずるに従い、夜明けてはその跡もとどめざるよしなり。
赤印が装束稲荷神社です。
青印が稲荷前ガードです。
緑印が王子稲荷神社です。

