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縁切榎 (新江戸百景めぐり㉘)
縁切榎 (新江戸百景めぐり㉘)


 今日からは、板橋区内の新江戸百景をご案内します。「新江戸百景めぐり」(小学館刊)では、縁切榎と志村一里塚が紹介されています。

 今日は、縁切榎を案内します。『新江戸百景めぐり』(小学館刊)では157ページの第92景で紹介されています。

 縁切榎は、江戸時代から板橋宿の名所として名高い榎です。都営地下鉄三田線板橋本町駅A1出口から5分、板橋区役所前駅A1出口からは15分の旧中山道の東脇にあります。(下写真が縁切榎です。)

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縁切榎にある板橋区教育委員会の説明板によれば、江戸時代には、この場所の道をはさんだ向かい側(西側)に旗本近藤登之助の抱屋敷がありました。その垣根の際には榎と槻の古木があり、そのうちの榎がいつの頃からか縁切榎と呼ばれるようになったとされています。

嫁入りの際には、縁が短くなることをおそれ、縁切榎の下を通らなかったといいます。

京都から将軍家に輿入れする姫君が江戸に向かう際にはほとんど中山道を利用しましたが、その姫君も縁切榎は避けたと言われています。

徳川家茂に嫁ぐため江戸に下向した和宮もご他聞にもれず、縁切榎を避けたとされています。

板橋区の説明板には、「板橋宿中宿の名主であった飯田侃家の古文書によると、文久元年(1861)の和宮下向の際には、五十宮などの姫君下向の例にならい、榎をさけるための迂回路がつくられています。そのルートは、中山道が現在の環状七号線と交差する辺りから練馬道(富士見街道)、日曜寺門前、愛染通りを経て、板橋宿上宿へ至る約一キロメートルの道のりでした。」と書かれています。。(下写真は旧中山道の西側から撮った縁切榎です)

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縁切榎は、庶民の間では、悪縁は切ってくれるが良縁は結んでくれるというので信仰の対象となっていきました。そして、男女の悪縁を切りたい時や断酒を願う時には、この榎の樹皮を削ぎとり煎じ、ひそかに飲ませるとその願いが成就するとされています。

根岸鎮衛の「耳袋」巻之五に「板橋辺縁きり榎の事」として、縁を切りたい妻が榎の樹皮を削って飲ませる話が載っています。

この榎が縁切榎と呼ばれるようになった由来については、もともとは、近藤登之助の屋敷には、榎と槻(つき:ケヤキの木)があり、そして「エノキ」と「ツキ」を続けて呼んで「エンツキ」と呼ばれるようになり、それが「縁つき」となり「縁が尽きる」ことから「縁が切きれる」と信じられるようになり「縁切榎」と呼ばれるようになったという説があります。

また、小日向水道端のお寺の住職であった十方庵敬順が書いた江戸市中の紀行文「遊歴雑記」では、縁切榎と呼ばれるようになったのは寛保の頃で、京から下向して将軍家に輿入れした波の宮(比の宮のことと思われるが、それであれば9代将軍家重の正室)と磯の宮(五十宮のことと思われるが、それであれば10代将軍家治の正室)が、それぞれ結婚後まもなく亡くなったため、誰いうとなく縁切榎と呼んだのが、世間に広まったと書いています。

なお、江戸名所図会には、縁切榎は取り上げられていません。

江戸時代の縁切榎は、明治時代の板橋宿大火で焼失し、2代目が植えられました。その2代目も昭和になって、周辺の再開発に伴って伐採され、現在の縁切榎は3代目です。

ただ、2代目の縁切榎の一部はモルタルで固められ、一部を露出させた形で境内に安置されています。(下写真)

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縁切榎から板橋区役所駅寄りの数分のところに石神井川が流れていて、そこに橋が架かっています。この橋が、板橋という地名の由来のもととなった「板橋」です。現在は昭和47年に行われた石神井川の改修工事の際に架けられた鉄筋コンクリート製の橋ですが、江戸時代の板橋は、太鼓状の木製の橋で、長さは9間(16.2メートル)、幅は3間(5.4メートル)あったそうです。かなり立派な橋だったようです。

下写真は、南側から撮った板橋です。右手に板橋についての説明板が設置されています。

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板橋宿は、江戸のほうか、平尾、仲宿、上宿という三つの町からなりたっています。

和宮が下向した際に宿泊したのが、板橋の仲宿の脇本陣であった飯田宇兵衞家でした。

飯田宇兵衞家は、飯田家の総本家であり、宝永元年(1704)に本陣を飯田新左衛門家に譲っていますが、江戸時代を通じて名主・問屋・脇本陣を努めました。 

その屋敷跡が「板橋宿中宿名主飯田家跡」として残されています。下写真は、屋敷跡に建つ板橋区教育委員会の説明板です。

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江戸時代を通じ、名主であった飯田宇兵衛家と本陣家の飯田新左衛門家は、お互いに養子縁組を行うなど、その機能を補完し合いながら、中山道板橋宿の中心である中宿の管理と宿駅機能の維持・運営にあたってきました。



その飯田新左衛門家は本陣を勤めていましたが、その本陣跡が「板橋宿本陣飯田新左衛門家」として残されています。(下写真) 説明板の後ろの建物の1階がスーパーの「ライフ」です。本陣は、このライフがある場所にあったようです。

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【令和元年9月1日追記】
 板橋宿本陣の説明板の向かい側に、高野長英ゆかりの地(旧水村玄洞宅)の説明板があります。下写真の左手にあります。
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 蛮社の獄により、永牢の刑となった蘭学者高野長英は、弘化元年6月晦日の小伝馬町牢屋敷の火災の際に切り放しされましたが、そのまま牢屋敷に戻らず逃亡しました。
 逃亡1ケ月後の7月下旬の或る夜、板橋宿に住む彼の門人である医師水村玄洞 宅を訪れました。 水村玄洞は身の危険を知りながら一両日高野長英を奥座敷にかくまい、7月晦日の深夜に北足立郡尾間木村(現在のさいたま市)に住む実兄の医師高野隆仙に向けて高野長英を逃亡させています。
 上写真は、本陣跡の説明板の位置から撮った写真ですが、本陣の目の前に、御尋ね者となった高野長英が潜んでいたということになります。その大胆さに驚嘆しました。
 このブログを書き始めたころ、高野長英ゆかりの地について書きました。その時に、板橋を訪ねていますが、そのころと高野長英ゆかりの地(旧水村玄洞宅)が変わっているので驚きました。
 以前書いた記事はこちらです。
水村玄洞宅跡 (高野長英の史跡 ③)


赤印が縁切榎です。青印が板橋です。

緑印が「板橋宿中宿名主飯田家跡」の説明板です。

ピンク印が「板橋宿本陣飯田新左衛門家」の説明板です。
 紫印が「高野長英ゆかりの地(旧水村玄洞宅)」の説明板です。










by wheatbaku | 2019-08-31 18:02 | 新江戸百景めぐり

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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