赤門(新江戸百景めぐり㊲)追記
今日は前回書いた赤門について1点追記しておきます。
[10月1日追記]
赤門の両脇には番所が設置されています。
この番所は、表から見ると下写真のように朱塗りとなっています。

しかし、門をくぐって内側からみると朱塗りではありません。(最下段写真)
不思議だなぁと思っていましたが、思いがけない所に、その理由が書いてありました。
その理由が書いてあるのが、磯田道史先生が書いた「武士の家計簿」です。 「武士の家計簿」は、加賀藩の会計のプロ猪山家が残した家計簿を読み解き、激動の時代を生き抜いた武士の姿を描いたものです。

その中で、磯田先生が、赤門を取り上げています。溶姫の輿入れは7代目の猪山信之の時でした。信之は、この婚礼の準備係を命じられ、それに関するメモが残されています。そのメモには、今度の将軍家との婚儀だけは首尾よくやるため、内輪向きのものは欠落してもよいという指示が上層部から出ていたそうです。
100万石の大藩であっても財政状態は厳しく、将軍家の輿入れに対応するのも大変だったようです。
磯田先生は、「内輪向きの費用を徹底して削れ」という指示が徹底していた例として赤門の内側が塗料を節約して朱塗りになっていないことを挙げています。
つまり、経費削減の影響で、赤門の番所の内側は下写真のように朱塗りとせず黒いままとしたようです。細かくは確認していないので断定できませんが、黒くなっているのは、黒い塗料を塗ったのではなく、時の経過で黒っぽく見えるようになったのかもしれません。


