新江戸百景めぐり、今日は、高輪大木戸をご案内します。
『新江戸百景めぐり』(小学館刊)では70ページの第23景で紹介されています。
高輪大木戸は、都営地下鉄「泉岳寺」駅のすぐそばにあります。駅の上といってよい所にあります。

そして、享保9年(1724)に現在地に移されました。
また、現在地に宝永7年(1710)に造られたという説もあります。
高輪大木戸は、道幅約6間(約10m)の旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止とし、治安の維持と交通規制の機能を持っていました。
天保2年(1831年)には、ここより北にある「札の辻」から高札場も移されました。
江戸時代後期には木戸の設備は廃止され、現在は石垣だけとなっています。
東海道を行く旅人の送迎もここで行われ、付近に茶屋などもあって、当時は品川宿に至る海岸の景色もよく、月見の名所でもありました。
歌川広重の名所江戸百景の中に「高輪うしまち」というのがあります。

高輪大木戸を出た岡側に、車町、俗称「牛町」という町がありました。
寛永11年(1634)、増上寺安国殿を普請するにあたり京都から牛持ち人足を呼び、木材や石材の運搬にあたらせたことに始まります。
この牛は江戸城の拡張にも用いられ、これらの工事が完了すると、牛持ち人足は江戸に定住し、車町(いわゆる牛町)が作られました。
それ以来、江戸では牛車による荷物の運搬が行われ、牛は山王祭や神田祭にも使われるようになりました。
この絵には、手前に大きく牛車が書かれています。
そして、絵をよく見ると遠く海の中にはお台場が見えています。
この絵が描かれたのが、 安政4年(1857)です。
お台場は、嘉永6年(1853)8月から安政元年(1854)5月の間に作られましたので、描かれていて不思議はありません。
現在、高輪大木戸周辺に牛町の面影はまったくありません。
そうした中で、高輪大木戸近くにある願生寺に牛供養塔があります。(下写真)

牛供養塔は、願生寺門前の車町の牛屋7家(吉田・水谷・仙波・田中・山口・大田・岩井)によって、最初、牛供養のため元文3年(1738)に建立されました。その後、文化3年(1806)の大火で焼失してしまったため、その当時まだ残っていた4家が中心となって文政11年(1828)に再建されたものです。
供養塔はその後3回、江戸時代では、慶応2年(1866)に修復が行われているようです。
赤印が高輪大木戸跡です。
青印が願生寺です。

