日枝神社(新江戸百景めぐり55)
今日は、日枝神社に初詣に行ってきました。
日枝神社には、赤坂側と永田町側からお参りできますが、今日は永田町側の山王男坂から向かいました。
日枝神社にお参りする際に気がつくのが鳥居です。
日枝神社の鳥居はよく見かける鳥居と違った特徴のある鳥居です。この鳥居は「山王鳥居」と呼ばれています。(下写真)

鳥居の形は、大きく分けて「神明鳥居」と「明神鳥居」があります。神明鳥居」というのは伊勢神宮の形式で東京では「靖国神社」の鳥居が有名です。「明神鳥居」というのは「神田明神」の鳥居です。
この山王鳥居は、明神鳥居の一種で、明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗った形をしています。
山王鳥居の上の三角形の上の2辺を開くと山という字になり、その2辺を上にあげると王という字になります。あわせて山王となります。山王鳥居にはこんな意味があるようです。
山王男坂は、非常に急な階段で、石段の標柱には五十三段の石段があると書いてあります。
今日は、その石段の途中からもう初詣客が並んでいるのでびっくりしました。(下写真)

男坂を登ると目の前にあるのが神門です。この神門は、「随身門」です。
神道において、祭神を守る者として安置される像のことを「随身」といい、随神とも書かれます。また、門守神(かどもりのかみ)とも言う。
神社の門のうち、門の左右に随身像を安置した門は「随身門」と呼ばれます。

神門を潜ると正面に本殿が見えてきます。
正面にある本殿は昭和33年造営されたものです。
戦前までは、万治2年御造営の社殿があり、国宝に指定されていましたが、昭和20年5月、空襲により、末社山王稲荷神社を残し全て焼失してしまいました。
現在の本殿は鉄筋コンクリート製です。
今日は、神門から本殿までの間に参拝客が一杯でした。

日枝神社は、『新江戸百景めぐり』(小学館刊)132ページの第71景でも紹介されているので、ここで日枝神社の歴史をお話しておきます。
日枝神社は江戸時代には山王権現といわれていました。
江戸を開いた江戸氏は、江戸の守護神として山王宮を祀ったと社伝では書いてあります。
そして、太田道灌が江戸城を築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を江戸城内の梅林坂に勧請したされています。
今日は、日枝神社の中に神酒所が設けられていて、お神酒がふるまわれていました。
その銘柄が太田酒造の「道灌」でした。こんな所にも太田道灌との縁が感じられます。
ところで太田酒造の「道灌」はどこの酒か調べてみました。すると滋賀県草津市の酒造メーカーで、製造元の太田家は太田道灌を先祖にもっているそうです。

徳川家康が江戸に入府し江戸城を居城とするに至って、江戸城内に山王権現が鎮座していることから「将軍家の産土神」とされました。
2代将軍秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を半蔵門外に定め、社殿を新築して遷祀されました。
この地は元山王と称されていて、現在の半蔵門近くの国立劇場附近です。
しかし、この社殿は、明暦3年(1657)の大火で炎上してしまいました。
その時の4代将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む福知山藩松平忠房の屋敷地を収容して社地に充て、社殿を造営して遷座しました。これが現在の日枝神社です。
この地は、江戸城の南西の方角つまり裏鬼門にあたり、裏鬼門を守護していました。
江戸時代には、山王権現、山王社とも呼ばれ、江戸っ子からは山王様と親しまれていました。
明治元年には神仏分離令が発令され、社名も山王権現から日枝神社に変更し現在に至っています。
日枝神社の日枝は、京都にある比叡山の比叡を同じ意味です。
比叡山は、昔は「日枝山」と書いた書物もあるそうです。
日枝神社は、将軍家の産土神でした。そのため、その名の通り、将軍の初宮詣が山王権現で行われました。
初めて初宮詣でした将軍は、3代将軍家光です。その後、4代将軍家綱、5代将軍綱吉が初宮詣でが行われました。その後は、将軍の実子が江戸城内で生まれていないため、しばらくの間、間があいて、10代将軍家治、11代将軍家斉の初宮詣でがされ、13代将軍家定の初宮詣でがされています。12代将軍家慶は江戸城内で生まれているのですが、なぜが日枝神社の社史には初宮詣でをしたとはのっていません。
初宮詣をしているくらいですので、将軍の社参もしばしばされています。
記録としては、5代将軍綱吉の社参が初めてのようです。
綱吉が12回、6代家宣が2回、8代吉宗が2回、9代家重、10代家治、12代家慶が1回社参しています。
さらに、毎年、年初めには、将軍家の初詣として 老中などによる代参が行われました。
将軍家の産土神であった赤坂日枝神社ですが、今日は、お正月らしく、巫女による神楽舞も行なわれていました。(下写真)
破魔矢の短冊に願意と名前を書いて巫女に渡すと巫女が神楽舞で諸願成就をお祈りした後、破魔矢を戻してくれていました。

赤印が日枝神社です。

