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神楽坂②(新江戸百景めぐり59-2)

神楽坂②(新江戸百景めぐり59-2

 神楽坂では、善非常に寺が有名ですが、その他にも見どころがあります。

 そこで、今日は神楽坂の続編として、光照寺、天文屋敷跡、行願寺跡についてご案内します。

 

 まず、光照寺ですが、光照寺は善國寺の西側にありますが、あまり知られていないように思います。

 善國寺を過ぎて最初の路地を左に曲がります。そこは地蔵坂という登り坂です。

 そこを登りきった左手に光照寺があります。

 下写真は門前の様子です。右手に寺標が建てられています。

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 この光照寺一帯は、戦国時代には牛込城があった場所です。

 当時の資料は残されてないため、詳細は不明ですが、城と言っても大規模なものではなく、住居を主体とした館程度のものであっただろうと推定されています。

 牛込城のあった場所は、牛込台地の南端にあたり、江戸城とは谷一つ隔てた場所です。(下写真は本堂脇に設置されている新宿教育委員会の説明版です)

神楽坂②(新江戸百景めぐり59-2)_c0187004_11090646.jpg

 ここの主であった牛込氏は、もともとは、上野国勢多郡大胡の領主大胡氏を祖先とした氏族です。大胡は赤城山の南麓にあります。

戦国時代の天文年間(153255)に大胡重行が南関東に移り、北条氏の家臣となりました。重行の子の勝行は姓を牛込氏と改めました。

しかし、北条氏が滅亡した後は、牛込勝重は、徳川家康に従いました。その際、牛込城は取り壊されました。

牛込城は、重行、勝行、勝重の三代の居館で、ここを拠点として、牛込、桜田、日比谷付近を領有していました。 

 牛込城の跡地に現在建っている光照寺は、浄土宗の寺です。下写真は本堂です。

慶長8年(1603)、神田元誓願寺町に開かれました。そして、牛込城の跡に、正保2(1645)に神田から移転してきたものです。

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出羽国松山藩主酒井家の墓所

光照寺境内の墓所の中に、ひときわ大きな墓碑群があります。

出羽国松山藩主酒井家の墓所です。

松山藩は譜代大名の名門であり徳川四天王の一人あった酒井忠次の子孫庄内藩初代藩主酒井忠勝の三男忠恒が分家として正保4年(16472万石で創設された藩です。松山藩は、現在の山形県酒田市にありました。

光照寺には初代忠恒以下代々の藩主及び妻子の墓があります。

酒井家の墓域はかなり広いのですが、東日本大震災の際に墓碑が緩んで倒れる危険があるため、一般の人は、入ることができません。

墓域の外からの撮影ですが、入り口正面には、初代の忠恒の立派な墓碑が建っています。下写真

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松山藩酒井家では、江戸で死去したものは光照寺に、国元で死去したものは、酒田市松山心光寺に葬られました。

天文屋敷跡

 光照寺がある場所は、坂の上にあり、昔は、江戸湾に入ってくる船をみることができたそうです。

そのため、戦国時代に城が築かれたのでしょう。そうした見晴らしのよい地形を利用して、 幕府は、明和2(1765)、牛込藁店に天文屋敷が建てられました。

当時使用されていた宝暦暦は、京都の土御門家が中心になって作成した暦でしたが、不正確であったため、宝暦暦の修正のため、明和元年(1764)に佐々木文次郎を天文方に任命し、翌年、光照寺門前の火除地に「新暦調御用所」を設置しました。

ここでは天体観測も行われましたので、いってみれば天文台です。この天文屋敷があった場所が光照寺の門前です。

天文屋敷のあった場所は、以前は日本出版クラブがありましたが2018年に移転して、現在はマンションの新築工事中で2022年3月に竣工する予定です。

現在の目印は、新宿区の保護樹林となっているイチョウの木です。(下写真)

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ここでの観測を基に宝暦暦の修正が明和6年に終了しましたが、その後も、天体観測が続けられ、ここが最初の幕府天文台となりました。

しかし、光照寺の木立が茂って観測に不便だったため、天明2(1782)に浅草片町裏に移転しました。これが浅草天文台です。

行願寺跡

神楽坂の東には、行元寺という大きなお寺がありましたが、現在、行元寺は目黒に移転して、その跡地は、マンションや戸建て住宅となっています。

その中に、寺内公園があります。(下写真)

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そこにある説明板によると、行元寺が明治40年に移転した後は、その跡地は「寺内」と呼ばれたそうです。

この寺内公園だけが、行元寺の名残りを伝える唯一のものだろうと思われます。

この行元寺境内で、天明3年(1783年)冨吉という百姓が、父の仇を討ったという記録があります。

これが神楽坂の仇討とも行元寺の仇討とも呼ばれる仇討です。

下総国相馬郡早尾村の百姓冨吉が、親の仇である同じ村の百姓甚内を牛込神楽坂の行元寺境内でうったのでした。

この仇討は江戸中の評判となりました。そこで、時の住職は、太田南畝に依頼して、石碑を「念彼観音力 還著於本人」と刻んだ石碑を建てました。

現在、行願寺門は目黒に移転していますが、そこには、大田南畝ゆかりの石碑が、いまも残されています。

以前、このブログで詳しく書いていますので、ご興味のある方は下記記事にとんでください。

行元寺の大田南畝の隠語碑

赤印が光照寺です。

青印が天文屋敷跡です。

緑印が寺内公園です。

オレンジ印が善國寺です






by wheatbaku | 2020-02-06 10:49 | 新江戸百景めぐり

江戸や江戸検定についてに気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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