駒込富士神社①(新江戸百景めぐり60-1)
今日は、『新江戸百景めぐり』で駒込富士神社をご案内します。
『新江戸百景めぐり』(小学館刊)では、135ページ第73景で紹介されています。
駒込富士神社は、山手線・東京メトロ南北線「駒込」駅より徒歩12分のところにあります。途中に六義園がありますので、六義園を見たついでにお参りするのもよいと思います。
下写真は鳥居正面から写した駒込富士神社です。

駒込富士神社は、本郷村の名主が天正元年(1573)、現在の東京大学本郷キャンパスの地に駿河の富士浅間社を勧請したのが始まりです。
寛永6年(1629)に、本郷の鎮座地が加賀藩前田家の屋敷となったため、現在地に移ってきました。
社伝によれば、現在地は昔から富士塚と呼ばれ、大きな塚があり、この塚は一説によると前方後円の古墳ともいわれているそうです。
駒込富士神社は、その塚の上に、鎮座していますので、正面の石段は大変急な石段になっています。そして、石段を登りきったうえに駒込富士神社の社殿があります。

江戸時代は、富士山信仰が盛んで、富士の浅間神社にお参りに行く「富士講」が数多くできました。
そして、次のように詠われるほどになりました。
~江戸は広くて八百八町、講は多くて八百八講。江戸に旗本八万騎、江戸に講中八万人。~
そして、富士山に見立たてた富士塚が多く作られました。
富士山に見立てた山の上に拝殿を配したこの富士神社も、富士信仰の拠点の一つでした。
下写真が現在の社殿です。

毎年の富士山開きの日にあわせ、代表者が富士山に登り、江戸に残った人たちは、近くの富士塚に参拝しました。ここの富士神社も、山開きの日には大勢の参拝客でにぎわいます。
以前、お参りした時の記事がありますので、ご興味のある方はご覧ください。
駒込富士神社の麦藁蛇
本郷の富士浅間神社
富士神社が駒込に移転する前は、加賀藩上屋敷(現在の東大本郷キャンパス)に鎮座していました。鎮座していた場所は、赤門東側にある「赤門総合研究棟」のある場所といわれています。(下写真)

江戸時代の加賀藩邸の地図を見ると赤門東に緑色に塗られた場所があります。そこが「加賀殿再訪」(東京大学出版会刊)では富士権現旧地と注記されていて、「江戸のミクロモス」(新泉社刊)では富士山と注記されています。ここが富士浅間神社が鎮座していた場所と思われます。下写真は現在の赤門です。

駒込富士神社が駒込にできた後も富士浅間神社が祀られていましたが、明治になって、前田侯爵家の屋敷が旧加賀藩邸の一画に設けられると、富士浅間神社も屋敷内に鎮座していました。前田家が昭和3年に駒場に移転して跡地が東大キャンパスとなり、現在は、春日通りに面した場所にお祀りされています。下写真が富士浅間神社の社殿です。

富士浅間神社がある地区の昔の町名は、本富士町といいました。かつて富士山があったことにちなむ名前です。現在も東大のそばにある警察署は、本富士警察署となっています。
〇駒込富士神社の場所
赤印が駒込富士神社です。青印が六義園です。
〇富士浅間神社の場所
緑印が富士浅間神社です。オレンジ印が赤門です。ピンクが総合研究棟です。

