縁起の良い初夢としてあげられるもの『一富士、二鷹、三茄子』があります。
この三つが縁起のよいものにあがれるかについては諸説がありますが、 「駒込に一富士、二鷹、三茄子」という川柳があり、駒込の名物を挙げたものだという由来説もあります。
そこで、今日は、駒込の「一富士、二鷹、三茄子」について書いてみます。
まず、「一富士」は、いうまでもありませんが、前回ご案内した「駒込富士神社」であることは、すぐにおわかりになると思います。
下写真は駒込富士神社入り口です。

「二鷹」は、駒込に鷹匠屋敷があったことによります。
鷹狩は、徳川家康が大変好きでしたので、家光までの歴代将軍も鷹狩を好んで行ないましたが、4代家綱の時には回数が少なくなりました。そして、5代将軍綱吉は、生類憐みの令との関係で鷹狩を禁止しました。鷹狩が復活したのは、8代将軍吉宗の時です。
吉宗が復活した鷹匠屋敷の一つが現在の都立駒込病院の場所にありました。
これがあったことが「二鷹」の由来です。
昭和49年、駒込病院の外溝工事中に貝塚が確認されたことから、2次にわたる発掘調査が行われ、縄文時代の遺跡の上に江戸時代の遺構が発見されました。これが動坂遺跡です。下写真は文京区教育員会が設置した説明板です。

縄文時代の遺跡が貝塚で、江戸時代の遺構が鷹匠屋敷の遺構です。
そのため、都立駒込病院の入口に、動坂貝塚記念碑(下写真)が設置されています。
上写真と下写真は以前訪ねた時に撮った写真です。現在は状況が変わっているかもしれません。

続いて「三茄子」ですが、江戸時代、駒込はなすの産地で、「駒込なす」は、江戸では大変有名な野菜でした。
新編武蔵風土記稿の上駒込村に、
茄子の土地によろしいので世にも駒込茄子と称す
と書かれています。
こうしたことから、駒込富士神社にJA東京が設置した説明板があります。下写真がそれです。

縁起の良い初夢としてあげられる『一富士、二鷹、三茄子』がどうして縁起がよいとされるのかについては諸説があります。
徳川家康の好物を挙げたという説や駿河にあるもので高いものを挙げたという説もあります。
「甲子夜話」には、「神君駿城に御座ありし時、初茄子の値貴くして、数銭を以て買得ぬ故、其値高きをいはんとして、まず一に高きは富士なり。その次は足高山なり、其次は初茄子なりといひしことなり」と書かれていて、家康が駿河で高い順にあげたものだそうです。
ちなみにここで言われている足高山は、愛鷹山のことで、駿河では富士山に次いで高い山です。
赤印が動坂遺跡の説明板と動坂貝塚記念碑のある場所です。
青印が駒込富士神社です。

