赤坂氷川神社①(新江戸百景めぐり62-1)
今日は、新江戸百景めぐりの一環として赤坂氷川神社をご案内します。
「新江戸百景めぐり」(小学館刊)では134ページの第72景で紹介されています。
赤坂氷川神社は、東京メトロの「赤坂」駅または「六本木一丁目」駅が最寄駅になります。
下写真は楼門からみた御社殿です。
赤坂氷川神社は、平安時代中期の天暦5年(951)に赤坂一ツ木台地(俗称古呂故ヶ岡)に祀られました。
江戸時代、赤坂氷川神社が紀州徳川家の赤坂の屋敷の産土神(うぶすながみ)であった縁から、紀州藩主であった徳川吉宗が享保元年(1716)に8代将軍職を継いだため、享保14年(1729)に老中水野忠之に命じ、現在地(赤坂今井台)に現社殿を造営し、翌15年(1730)4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われました。そして4月28日には吉宗の直々の参拝があったそうです。
この時に建立された社殿は、安政の大地震・関東大震災・東京大空襲の被災を奇跡的に免れて、江戸時代の創建当時のままの姿を残しており、東京都重要文化財に指定をされています。
下写真が社殿です。
氷川神社の鎮座範囲
氷川神社の本社は埼玉県の大宮に鎮座する武蔵国一ノ宮の氷川神社で、ここから分霊し、各地に氷川神社が祀られました。
出雲の氏族であった武蔵氏が武蔵国造(くにのみやつこ)となって移住した時期、氷川の信仰が広く祀られたといわれています。
その関係からか、氷川神社の分社は、元荒川と多摩川を東西の境にして武蔵国に広く分布し、現在でも埼玉県に162社、東京都に59社あるそうです。
「氷川」の名は、出雲の簸川(ひかわ・現在の斐伊川)の名に因むものといわれ、農業用水として大きな恩恵を受ける一方、水害にも悩まされた荒川を簸川に見立て、畏敬の念をもって信仰していたと考えられています。
氷川神社が祀られた村々はその成立が比較的古く、多くは関東ローム層の丘陵地帯に位置し、森林を開墾し谷の湿地を水田とした農村であったと推定されているようです。
四合(しあわせ)稲荷神社
赤坂氷川神社の社殿がある高台から一段低くなった境内の東側に四合(しあわせ)稲荷神社が鎮座しています。下写真が社殿です。
「四合(しあわせ)稲荷」という名称は、明治31年に、赤坂氷川神社周辺に鎮座していた四つの稲荷神社を赤坂氷川神社に遷座して合祀したことから、勝海舟により命名されたものです。
合祀された稲荷神社は次の四つです。
①古呂故稲荷(赤坂一ツ木二番地、古呂故天神社境内に鎮座)
②地頭稲荷(氷川神社遷座以前より拠の地に鎮座)
③本氷川稲荷(本氷川神社隣接、別当盛徳寺の地内に鎮座)
④玉川稲荷(赤坂門外の御城端、源弁慶橋のあたりに鎮座)
赤印が赤坂氷川神社です。
青印が四合(しあわせ)稲荷神社です。

