『シュリーマン旅行記』も頻出問題(江戸検お得情報4)
今日の江戸検お得情報は『シュリーマン旅行記』について書いていきます。
この旅行記を書いたシュリーマンはドイツの考古学者で、トロイアの遺跡を発見したことで有名ですが、このことを高校の世界史で学んだ人もいると思います。
シュリーマンは、ドイツの貧しい牧師の家に生まれ、刻苦奮励して大商人として財をなしましたが、41歳で商売をやめ、43才になった1865年に世界旅行に出かけ、インド洋から香港に入り、上海、北京を訪れた後、日本にやってきました。日本には、慶応元年6月1日から7月4日まで約1か月間滞在し、横浜・江戸のほか八王子も訪ねています。
旅行の後、パリでこの旅行の紀行文「シナと日本」を出版しました。この旅行記が日本語に翻訳されています。それが『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)です。(下写真)
『シュリーマン旅行記 清国・日本』は、第1章から第3章までが中国に関して書かれていて、第4章江戸上陸、第5章八王子、第6章江戸、第7章日本文明論となっていて、第8章太平洋で完結しています。
半分以上が日本について割かれていますが、この中には、幕末の日本の様子が生き生きと、そして非常に好意的に描かれています。
あの有名なシュリーマンが日本を訪れていたことに驚きましたが、さらに幕末の日本を好意的に取られていることにも感激しました。
『シュリーマン旅行記 清国・日本』から、1級問題としてしばしば出題されていますので、今年ぜひ合格したいと願っている人は、この『シュリーマン旅行記 清国・日本』も読んでおいたほうがよいと思います。
また、幕末の日本がわかる興味深い本ですので、江戸検対策としでなく、幕末の江戸を知りたいという人も読んでみるといいと思います。
最後に『シュリーマン旅行記 清国・日本』から出題された江戸検1級の問題を書いておきます。なお、正解と『シュリーマン旅行記 清国・日本』の該当ページも付記しておきます。
第5回 【90】私は、幕末の江戸を訪れて江戸の習俗について多くを書き記し、とりわけ湯屋での男女混浴について「何と清らかな素朴さだろう」と述べるなど、異文化に対する深い理解を示しました。さて、のちに考古学上の大発見をした、私は誰でしよう?
い) アーサー・ジョン・エノヾン-ズ
ろ)工ドワード・シルベスター・モース
は) トーマス・エドワード・ローレンス
男女混浴については、『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では88ページに書いてあります。
第6回【68】トロイの発掘で知られるシュリーマンは、1865年に日本を訪れています。浅草でさまざまな見世物を見てまわった彼は、ある見世物に感嘆し、欧米で興行すれば称賛の嵐を巻き起こすだろうと記しました。それはどんな芸でしよう?
い)居合抜き ろ)軽業 は)独楽回し に)手妻
『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では141~142ページに書いてあります。
第8回【37】トロイの発掘で知られるシュリーマンは、慶応元年( 1865 )に日本を訪問しました。江戸近郊の王子を訪ねた彼は、有名な茶屋で日本料理を食べたことを記しています。そのなかで、「アスパラガスに似ている」と書いている食べ物は、何でしよう?
い)独活(うど) ろ)筍(たけのこ)
は)土筆(つくし) に)蕗(ふき)
正解 ろ)筍(たけのこ)
『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では151ページに書いてあります。
第14回【90】慶応元年、のちにトロイア遺跡の発見者となる考古学者シュリーマンが来日しました。到着早々シュリーマンは東海道を進むある人物の行列を目撃し、「堂々とした美しい顔は少し浅黒い」とその容貌を旅行記に記録しています。その人物とは誰でしよう?
い)生麦事件直前、品川宿を通過する「島津久光」
は)江戸に向けて進軍する「東征大総督・有栖川宮熾仁親王」
に)京都で逮捕され、江戸に護送される途中の「大盗賊日本左衛門」
正解 ろ)長州再征のため上洛する途中の「14代将軍徳川家茂」
『シュリーマン旅行記 清国・日本』(講談社学術文庫)では98ページに書いてあります。