小田原・箱根・三島(広重『東海道五十三次』4)
広重『東海道五十三次』の4回目は、小田原・箱根・三島の三宿について書いていきます。
10、小田原(酒匂川)
広重は、小田原宿の絵を、小田原宿から少し離れた酒匂川(さかわがわ)の東から小田原宿方向を描いています。
絵の手前を流れている川が副題ともなっている酒匂川です。
幕府は、東海道の大きな川には、防衛上の観点から橋をかけない川がかなりありました。大井川が有名ですが、酒匂川もその一つです。
酒匂川は、江戸時代初期には船渡しが行なわれていた時期もありますが、延宝2年(1674)に船渡しが禁止され徒行(かち)渡しとなりました。ただし、水量の少ない冬季は仮橋が架けられ、夏期の増水期は、徒行渡しがおこなわれていました。国立国会図書館の解説では10月から2月まで橋で渡り、3月から9月までは徒行渡しだったと書いてあります。
この絵でも酒匂川の徒行渡しの様子が丁寧に描かれています。その詳細は後記します。
河原で休んでいる人足の後ろ暗青色で岩のようなに描かれているものは、洪水を防ぐための蛇籠です。河原の先には葦原が一面に広がり、その先の右手中段に小さく描かれているのは小田原城の石垣と櫓で、その左に小田原宿の町並みが描かれています。
小田原城のすぐ背後に描かれている山々が箱根の山です。
ごつごつとした稜線を重ねて画くことによって険しい箱根の山を描き出しています。山肌を明るい茶色、淡青色、暗青色と描き分けていますが、これは、手前の山肌が前進色(近くに感じる明るい色)、奥の山肌が後退色となるように描くことによって遠近感を高めているのだそうです。
徒行渡しで描かれている人物は豆粒のように小さいのですが、下画像のように拡大して見ると、非常に丁寧に描かれているのがわかります。
酒匂川の中で高欄のない輦台(れんだい)で武士を運ぶ人足たち、高欄のついた輦台(れんだい)で武家の乗物(高級な駕籠)を担ぐ人足たち(多分この乗り物には武士が乗っているのでしょう)。その供の武士や槍持を肩車で渡す人足たちが細かく描かれています。また、対岸で順番を待つ駕籠の一行、そして河原で休息する人足たちも描かれています。
11、箱根(湖水図)
箱根の絵は、広重の『東海道五十三次』の中の傑作の一つで、多くの人が見たことがあると思います。
明治時代の鳥居忱(まこと)作詞・滝廉太郎作曲の『箱根八里』は「箱根の山は天下の険、函谷関もものならず」と詠っていますが、その歌詞のように箱根は東海道でも有数の難所でした。
画面の大部分を鋭角の峰々を重ねて箱根の山の険しさを表していますが、徳の中央に描かれた山塊は尖った山で、その峯の東側は急角度の崖として描かれていて、圧倒的な迫力で、見る側に迫ってきます。
峰の左奥に見える水面が芦ノ湖です。芦ノ湖の岸辺には山に抱かれた箱根権現(現・箱根神社)の屋根が見え、箱根権現の後ろの山々の向こうには、雪の富士山が白く描かれています。
絵中央の険しい山塊の山裾には大名行列が描かれていますが、行列が急角度に描かれていてかなり急勾配な坂であることが表現されています。
私は、この大名行列は箱根の山を登っているものとばかっかり思っていましたが、実は坂を下っているのだそうです。よくみると確かに下っているように見えます。
画面左の水面が芦ノ湖で、その奥が富士山ですが、芦ノ湖を左に見て富士山が芦ノ湖の先にみえる場所を探すと、芦ノ湖に向かう権現坂あたりとなります。
権現坂は元箱根に続く下り坂ですが、箱根の関所はこの坂を下り、芦ノ湖に沿ってしばらく行った先にありました。大名行列はまもなく箱根の関所に到着です。
12、三島(朝霧)
箱根宿は相模国にあり、三島宿は伊豆国、そして次の沼津宿は駿河国にありました。つまり、三島宿は伊豆国で唯一の東海道の宿場です。
三島宿は、三嶋大社の門前町で、三嶋という地名は、この三嶋大明神に由来しているそうです。
三嶋大社は、伊豆国の一の宮で、主祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)で、三嶋大社のホームページによれば、この二柱の神様が三嶋大明神と呼ばれ、三嶋という地名は、この三嶋大明神に由来しているそうです。
三嶋大明神は、源頼朝が源氏の再興を祈願し、その後、平家を滅ぼすことができ、鎌倉幕府を開いたことから、源頼朝が篤く信仰したことで知られています。
この絵の中央にシルエットとして描かれている鳥居が三嶋大社の大鳥居です。三嶋大社の大鳥居は、東海道に面していました。
大鳥居がシルエットで描かれているのは、副題の「朝霧」の通り、早朝の朝霧の濃い時刻の東海道を描いているからです。
大鳥居のほか、燈籠や画面右方の社殿の屋根、左方に向かって小さくなっていく家並み、そして木々がみな藍と薄墨でシルエットとして描かれています。
一方、画面中央のひとかたまりの旅人たちは、輪郭もはっきりわかる明るい色で目立つように描かれています。馬の背に乗った旅人が引回し合羽にくるまっている様子や、馬子が体に薦(こも)を巻き付けた様子をみると、この日は相当寒かったのだと思います。そんな寒さの中でも、駕籠かきの二人は、寒さをものともしない裸同然の姿で駕籠を担いでいます。
ここに描かれている旅人たちは、東に向かっていますので、三島宿を朝早く出て、これから箱根路へと向かうのでしよう。
その一方で、左のシルエットで描かれた旅人たちは沼津宿に向かい朝霧の中に消えていこうとしています。
以上