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沼津・原・吉原 (広重『東海道五十三次』5)

沼津・原・吉原 (広重『東海道五十三次』5

広重『東海道五十三次』の5回目は、沼津・原・吉原の三宿について書いていきます。

13、沼津(黄昏図)

 この絵は沼津宿の東側から宿場方向を描いていて、中央の逆くの字に流れる川は狩野川とされています。手前中央の川沿いの道を大きな天狗の面を背負った男性と巡礼風の女性2人が歩いています。遠方に見える橋の先に見えるのが沼津宿の家並です。

そして、家並の上には、大きな満月が見えています。その満月に照らされて沼津の家並の壁が白く光っているほか、川沿いの道も明るく照らされています。

この絵の副題は「黄昏図」ですので、黄昏時の沼津宿を描いていることになります。満月は黄昏時には東から登りますので、正確に言えば、広重の絵の光景はありえないことになります。広重が間違えたのか、あるいは不正確であることを承知していたうえであえてこの構図にしたのかは解明されていないようです。

この絵の樹木はほとんど墨色で表現されていて、特に左側の森がこんもりと深く描かれていて、月に照らされて明るい真ん中部分との好対照を見せています。中央の川沿いの道が明るい絵となっているのは満月のお蔭だということがわかるように、あえて絵の中央に満月を描いたと考えれば、この絵は非常に成功しているように思います。

そして、この絵からは、「し~ん」とした静まり返った静寂も感じられるのが不思議です。

沼津・原・吉原 (広重『東海道五十三次』5)_c0187004_16334214.jpg
「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」

狩野川沿いの街道を歩いている旅人は全部6人います。そのうちの手前に描かれている3人が印象的です。下画像は、その部分の拡大です。

後ろの大きな天狗を担いだ白装束の男は、讃岐の金刀比羅宮を目指す金比羅参りの人物です。金毘羅宮には天狗を奉納するのが決まりでした。

巡礼風の母娘は、伊勢参りの旅人あるいは諸国を遍歴する芸人の比丘尼といわれていますが、よく見ると母親らしい女性が柄杓をもっていますので、伊勢参りをする母娘ではないかと私は思います。

沼津・原・吉原 (広重『東海道五十三次』5)_c0187004_16334216.jpg
 

 

14、原(朝之富士)

原宿は現在の沼津市原で、沼津宿から約1里半しかありませんでした。それもあって、東海道でも最も小さな宿場町の一つです。

このあたりは、東海道でもとりわけ富士山が大きく見える場所として知られていました。 このため、広重も雪を被った冬の富士山を画面に大きく描いています。大きさを強調するため、富士山の山頂を画面の枠からあえてはみ出させて描かれています。

この図の副題は「朝之富士」です。よく見ると富士山の頂上と東側の山腹がうっすらと赤くなっています。昇りつつある朝日を受けて山肌が赤く染まっていることが表現されています。

富士山の右から裾野にかけて描かれているごつごつした稜線の山は愛鷹山(あしたかやま)です。稜線のなだらかな富士山と対照的です。

富士山の裾野には、浮島が原という広大な湿地帯が広がっていました。

広重の絵では、一面の葦原が広がっていて、のんびりと2羽の鶴が羽を休めています。この2羽の鶴は夫婦でしょう。

その手前の街道に供を連れた女性2人の旅人が描かれています。

この二人連れの女の旅人を母と娘と見て、「仮名手本忠臣蔵』八段目「道行旅路の嫁入」の大星内蔵助の息子大星カ弥の許婚である加古川本蔵の娘小浪がその義母戸無瀬とともに大星力弥の住む京都山科へと向かう姿とする解釈もされています。

二人連れの女性のうち娘とおぼしき女性は富士山を見ています。しかし、先を歩く母親らしい女は笠に手を掛けて振り返っていますが、その視線の先は富士山とは違う方向に向いています。

副題「朝之富士山」を考慮すると彼女は昇る朝日を見ているのではないでしょうか。

供が荷物を担いでいますが、これは両掛(りょうがけ)という担ぎ方です。

また、供の者の法被を見ると、カタカナで「ヒロ」と読める文字がデザイン化されています。 これは広重が自分の画号の一部を用いた文様です。広重はこのような趣向をしばしば行っています。

沼津・原・吉原 (広重『東海道五十三次』5)_c0187004_16334282.jpg

15、吉原(左富士)

 この絵の副題は「左富士」です。

東海道を西に向かう旅人にとっては富士山はずっと進行方向右手に見えています。しかし、吉原では富士山が左手に見えます。

江戸時代の初期まで、吉原宿(元吉原)は田子の浦に面していましたが、寛永16年(1639)に津波の被害を受けたため、翌年中吉原に宿場を移転しました。さらに延宝8年(1680)に津波の被害を受けたため、一層内陸寄りの新吉原へと移転しています。かつての元吉原は現在の東海道本線吉原駅近くで、新吉原はそこより北西の岳南鉄道吉原本町駅の付近になります。

このように吉原宿が内陸部に移ったため、東海道は、元吉原を出てまもなく、海から離れて北へと向きを変えます。このため、富士山が左に見えることとなります。これが旅人にとって不思議な景色であることから「左富士」として呼ばれて東海道の中でも有名な景色でした。

この絵を見ると、東海道が折れ曲がって描かれています。この手法は、平塚の絵でも使用されていますが、見る人の視線を奥へ奥へと導いていきます。

その視線のたどり着く先にシルエットのように浮かんだ富士山がありますが、「原」に比べるとずいぶん小さく描かれています。実際に吉原で見る「左富士」はもっと大きく見えるとのことです。あえて小さく描いたのは、空間の奥行きを強調するためだと考えられているようです。

松並木も手前の松は大きく描かれて、遠くになるに従って小さく描かれています。その松並木の間の東海道を行く馬に三人の子供が乗っていますが、これは、三面六臂(頭が三つで腕が六本)の仏像の形にたとえて、 俗に「三宝荒神(さんぽうこうじん)」と呼ばれた馬の乗り方です。

真ん中に乗った子供と最左の男の子の顔の視線をたどると遠くの富士山に行きつきます。これによって見る人の視線を富士山に向ける効果があります。

 なお。富士山が白く描かれていないので、この絵が描いている季節は冬季以外ということになります。

沼津・原・吉原 (広重『東海道五十三次』5)_c0187004_16334285.jpg
「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」

以 上



by wheatbaku | 2020-05-18 16:23 | 広重『東海道五十三次』

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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