嶋田・金谷(広重『東海道五十三次』10)
広重『東海道五十三次』、今日は、嶋田と金谷の説明をします。
嶋田と金谷は大井川を挟んだ両側の宿場です。
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と箱根馬子唄にもうたわれたように、大井川は、川幅が約10町(約1.3キロ)もありますが、幕府により、大井川に橋が架けられなかったため、東海道の難所の一つでした。
また、大井川は、駿河国と遠江国の国境でした。そのため、江戸側の嶋田宿は駿河国ですが、金谷宿は遠江国でした。
しかし、平成の大合併により、平成17年に島田市と金谷町が合併し新たに島田市となったため、現在は両宿場ともに島田市となりました。
24、嶋田(大井川駿岸)
嶋田は、大井川の駿河側の宿場で、現在の市の名前は「島田市」ですが、広重は「嶋田」としています。
大井川には橋が架けられませんでしたので、川越人足による徒行渡ししかありませんでした。
この絵は、副題の「大井川駿岸(すんがん)」の通り、大井川の駿河側の岸辺を描いています。
その描き方には特徴があります。地上よりずっと高いところから見下ろしている視点で描かれています。
こうした描き方は、『東海道名所図会』の挿絵を参考にしたためです、「広重『東海道五十三次』巻之四に、「大井川」「大井川続き図」というタイトルで、大井川を挟むような形で連続する見開きの挿絵が載っていて、金谷側の岸から大名行列が島田側へ渡る様子が、高い視点から描かれていますが、広重はこの図会の挿絵をヒントに、「嶋田」で大名行列が渡り始める様子を描き、「金谷」では岸に上がる様子を描いているのだそうです。
国立国会図書館デジタルコレクションで東海道名所図会の第4巻をみると確かに大井川を渡る大名行列の挿絵が二つ描かれています。

「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」
遥か高い所から見た構図にしているため、今これから川を越えようとする大名行列は、まるで蟻の行列のように小さく描かれています
良く先頭の3人は肩車で渡り、次の武士は簡単な平輦台(ひられんだい)で渡っています。その後ろには、お殿様が乗ると思われる乗物が川原に置かれていています。乗り物の脇には鉄砲や長鑓を持つ武士たちがいるし、荷物の上に腰掛けて休む武士たちも描かれています。その大名行列の左脇には荷物の整理をする人足たちが描かれ、奥の川原には休息をとる人足たちや人足が休息するための小屋まで描かれています。

「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」
行列の最後方には、大名行列が渡り終えるのを待つ町人らしき人々も描かれています。その先に黒っぽく描かれているのは、川の氾濫を防ぐ蛇籠です。
25、金谷(大井川遠岸)
大井川を渡り終わると、そこは金谷の宿でした。そして、大井川の対岸は、遠江国でした。そこで、この絵の副題が「大井川遠岸」となっています。「遠岸」とは「遠江国の岸」という意味です。
嶋田は、広重が「東海道名所図会』の挿絵を参考にして描かれていますが、金谷も、「東海道名所図会』の挿絵を参考にして描いているそうです。
金谷も、大井川を渡る大名行列が描かれています。
この絵では、大名が乗っていると思われる乗物や平輦台に乗った武士、馬や荷物がまもなく中洲の岸に到着しようとしていますし、その中洲には、肩車で渡った武士が川原に降りようとしている姿も描かれています。中洲でも平輦台に乗った武士は、その先にまで進む予定なのでしょう。
この絵に描かれている行列の先頭部分は町人たちのようです。その脇では、一休みしている人足たちが描かれています。
遠景に見える青緑色に摺られた丘陵地のようなところが、現在、大茶園が広がるお茶の栽培地として有名な牧之原台地だそうです。
その中腹に描かれている家並が金谷宿です。
ちなみに、牧之原は、明治2年(1869)、駿府に住まいを移した徳川慶喜に従った旧幕臣たちが、刀を捨て開拓を始めました。その後、明治3年に大井川の川越し制度が廃止されたため、職を失った川越人足たちも開墾に加わったという歴史があります。
最遠景に墨色をした大きな山が描かれています、実景にはこのような高い峰は存在しないと、解説本は異口同音に書いています。この山は、広重が想像で描いた山のようです。

「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」
なお、この金谷の絵と小田原を描いた下の絵は、構図が非常に似ていると思います。私は、最初のうちは、よく間違えました。皆様も間違えないようにご注意ください。
区別のポイントは①川の流れが、小田原は一つの流れなのに対して金谷は二つの流れとなっていること、②遠景の山が、小田原は彩色されているのに対して金谷は墨となっていること でしょうか。

「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」
広重が参考にしたという「東海道名所図会」の大井川の2つの挿絵を「国立国会図書館ウエッブサイトから転載」して掲載します。
東海道名所図会は寛政9年(1797)に出版された全6巻の名所案内記で、京都を出発点として日本橋までの行程で記載されています。作者は京都の俳諧師、秋里籬蔦(あきさとりとう)です。
その東海道名所図会の巻之四に、秋葉山、掛川、日坂、金谷、島田、藤枝、岡部、丸子、駿府久能山、江尻、興津、由井、蒲原が説明されています。
その中に「大井川」と「大井川続き図」と題された挿絵が2枚あります。
下の「大井川」は、遠景に富士山が描かれていますので、遠江側から駿河側を見て描いていることがわかります。この絵は大名行列が川を渡り始めようとしている絵となっています。

2枚目の「大井川続き図」は、大名行列が大井川を渡り終えようとしている様子が描かれています。

以 上

