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川越し(かわごし)(広重『東海道五十三次』11)

川越し(かわごし) (広重『東海道五十三次』11

 広重『東海道五十三次』について、日本橋をスタートして金谷まで紹介してきました。
 前回は、大井川を挟んだ嶋田と金谷を紹介しましたが、今回は、大井川に関係する「川越し(かわごし)」の話をします。
 少し横道に外れて、広重が描いた保永堂版『東海道五十三次』の説明でなくて申し訳ありませんが、ご容赦ください。

川越し(かわごし)とは

 川越し(かわごし)とは、江戸時代、交通の要衝にある大きな河に、橋を架けたり、渡船を設けずに、川越し人足の肩車や輦台(れんだい)などで渡渉させたことをいいます。

幕府は、江戸防衛上の観点から、川越し制度を導入したといわれています。さらに、それぞれの川の流れが速くて危険だったからとも言われています。

東海道では酒匂(さかわ)川、興津川、安倍川、大井川の四つの川、中山道では千曲川、碓氷川の二つの川で行われました。

 広重は、これまでご紹介したように、保永堂版「東海道五十三次」においては、四つの川すべての川越しの様子を描いています。

 川越しで、最も有名なのが大井川で、大井川は「関所川」ともよばれました。

 ここでは、『江戸諸国萬案内』(小学館刊)や島田市博物館のホームページで紹介されていることを参考にして、大井川の例を中心に川越しについて書いていきます。

 埼玉県に小江戸とも呼ばれ蔵の街として有名な「川越市」があり「かわごえ」と呼びますが、今日お話しする「川越」は「かわごし」と読みます。そのため、間違えないように、ここでは「川越し」と表記しておきます。

川越しの役所

 川越しとなる大河の場合、川越しに関する事務を担当する川会所が設けられました。東海道の川会所は、宿場の問屋場と同じく幕府道中奉行の支配下にありました。

大井川の場合、島田市博物館のホームページによれば、川会所には、川庄屋のもとに年行事(としぎょうじ)、待川越(まちかわごし)、川越小頭などの役がおかれ、毎日の水深を計り川越賃銭を定め、大名から庶民まですべての通行人に対する渡渉の割り振りや、諸荷物の配分などを行っていたそうです。

川越しできる時間・水量

川越しのできる時間は、明け六ツ(午前6時ごろ)から暮れ六ツ(午後6時ごろ)と決められていました。

ただし、急用の旅行者でとくに宿駅の問屋場か川会所の許可を得た者に限り、夜間通行が許されました。

大井川では、水深45寸(約1.4メートル)まで旅人は川を渡ることができますが、水深がそれ以上になると川留(かわどめ)として渡渉が禁じられました。

ただし、幕府の御状箱に限り水深5尺(約1.52メートル)までとされました。

川留が解除される「川明(かわあけ)」のときは、最初に御状箱が渡り、ついで大名が渡り、その後に一般の旅人が渡りました。

川越しの方法

川を渡るには、川越し人足による川越しだけが認められていて、旅人が自分で渡ること(自分越)は認められませんでした。ただし、相撲取、巡礼、非人などは例外とされたようです。

川越し人足による川越しには輦台、肩車などがありました。(詳細下記)

大名は、乗り物(高級な駕籠)のまま輦台に乗り、人足2030人で担いで渡渉しました。

川越し料金の支払い方法

旅人は川会所に出向いて、まず川会所で川札(油札、台札からなる)を買って渡ります。油札は川越し人足1人の賃銭で、台札は輦台の使用料で、油札の2倍の額となります。

旅人は、川札を川越し人足に手渡してから、人足の肩や輦台に乗り川を越えました。

川札は防水のために油が染み込ませてあり、人足は旅人より渡された川札を髷や鉢巻に結びつけ川越しをおこないました。

川越しの料金

川札の値段は、毎朝、待川越が水の深さと川幅を測って定め、川会所前の高札場に当日の川札の値段を掲げました。

水の深さは、股通(またどうし)、乳通(ちちどうし)、脇通(わきどうし)などと呼び、水の深さにより、料金が異なりました。

大井川での寛政年間の料金は次のようになっていました。

股通の場合は、川札1枚が48文

乳通の場合は、川札1枚が78文

脇通の場合は、川札1枚が98文

川越しの方法と必要な札数

 島田市博物館のホームページに川越しの方法が詳しく説明されていますので、それを参考に書いてみます。

1)肩車(かたぐるま、ただし関西や東海地方ではかたくま)

川越し人足の肩にまたがり越します。川札は1枚です。

ただし、常水(水深76センチ)以上は、手張(てばり=補助者)が一人つくので川札が2枚必要でした。

2) 輦台越し

 ① 平輦台(手すりなし)

 一人乗りの場合、担ぎ手4人で川札4枚と台札1枚(川札2枚分の料金)が必要となり、料金は肩車の6倍になります。二人乗りの場合、担ぎ手6人で川札6枚と台札1枚が必要となり、肩車の8倍となります。

 ② 半高欄輦台(半手すり2本棒)

 担ぎ手は、平連台と同じ4人で4枚の川札と台札2枚分が必要です。

 ③ 中高欄輦台(四方手すり2本棒)

 この場合には担ぎ手が10人に増えて、さらに手張(補助者)が2人ついて、台札は12枚が必要のようです。四方に手すりがある輦台は、肩車の36倍にもなります。これを利用できる旅人は高い身分の人やお金のある人など、ある程度限られることになりそうです。

 ④大高欄輦台(四方手すり4本棒)

 担ぎ手16人から24人、手張4人に台札16枚が必要。大名などは駕籠にのったまま川越ししします。

3) 棒渡し

 丸太の両端を2人が持ち、それにつかまって渡ります。(無料)

4)馬越し

人や荷物を乗せたままの馬を川越し人足が付き添って渡します。武士以上の者にしか許されなかったそうです。

5)手曳渡し

 以上のほかに、手曳渡しといって、川越し人足が旅人の手を曳きながら川を渡る方法もありました。

下画像は、府中の一部を拡大したものですが、手前の女性は肩車、次の女性とその奥の女性はともに平輦台で渡っています。平輦台であっても、肩車の8倍の料金が必要でした。

川越し(かわごし)(広重『東海道五十三次』11)_c0187004_15241029.jpg

以 上




by wheatbaku | 2020-06-08 16:43 | 広重『東海道五十三次』

江戸や江戸検定について気ままに綴るブログ    (絵は広重の「隅田川水神の森真崎」)
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