宮・桑名(広重『東海道五十三次』)
今日の広重『東海道五十三次』は、宮と桑名をご案内します。
宮(熱田神事)
宮宿は、現在の名古屋市熱田区にありました。
宮宿の宮は熱田神宮のことで、宮宿は東海道の宿場町であるとともに熱田神宮の門前町でもありました。
この絵に描かれているのは熱田神宮の「馬の塔」と呼ばれる神事です。そのため、副題が「熱田神事」となっています。
「馬の塔」は、中世末期から尾張地方で行なわれた走り馬行事で熱田神宮の端午の走り馬に始まるとされていますが、大須観音その他でも行われました。
熱田神宮の「馬の塔」は5月5日の端午の節句に熱田神宮への奉納神事として催されていました。
「俄(にわか)馬」と呼ばれる荒莚(あらむしろ)を巻きつけた裸馬を走らせ、大勢の人がその綱に捕まって走っています。
男たちは揃いの絞りの半纏((はんてん)を着ていますが、これは、宮に近いことから、有松絞りの半纏でしょう。
手前の一群は赤い模様の半纏で、後ろ側の一群は青い模様の半纏で、それぞれが対比的に描かれています。さらに、二つのグループは、赤の一群の先頭を頂点とした二等辺三角形となっています。
この構図により、二つのグループが左手に向かって凄まじい勢いで走っている様子が強調されています。広重の素晴らしい描き方だと思います。
この絵の右手には、熱田神宮の巨大な鳥居の一部だけが描かれています。この手法は、最晩年に描いた「名所江戸百景」の構図に通じるものがあるように感じられます。

桑名(七里渡ロ)
宮から桑名までは、海上七里を船で渡ることから俗に「七里の渡し」と呼ばれました。
この海路は慶長6年(1601)、東海道の宿駅が整備されたときに定められました。
広重が描いているのは、この七里の渡しの桑名側の船着き場に二艘の船が到着するところです。
海上を渡る時には船は帆をはりますが、船着き場に近づくと帆を降ろし、その後は櫓を漕いで船着き場に到着しました。そのため、この絵でも、船着き場に近づいた船は帆を降ろしています。
桑名宿は桑名藩の城下町でもありました。保永堂版が描かれた時代は、老中松平定信を出した(久松)松平家が藩主でした。
船着き場は桑名城の蟠龍櫓と呼ばれる櫓と向かい合った場所にあるため、この絵でも船の奥に蟠龍櫓が描かれています。
桑名宿は、伊勢神宮への参詣人の行き来などでにぎわいました。船を降りるとすぐに伊勢神宮の一の鳥居がありました。
船着き場に着いた船と反対に遠景には沖に向かって進む船が描かれ、出船・入り船の対比的に描き出されています。
帆を張った船が左の遠景に書かれ、右側に近景の建物が描かれる構図は、「品川」や「神奈川」の構図と同じになっています。


