木賃宿-江戸の旅情報④(「東海道中膝栗毛」10)
蒲原で弥次さん喜多さんが泊まった宿屋は木賃宿でした。そこで、今日は、木賃宿についてお話します。江戸時代の宿屋は、概ね3種類つまり本陣・旅籠・木賃宿に分けられます。
本陣は、大名や公家など高貴な人が泊まる宿屋です。
旅籠は、食事付きの宿屋で、一般庶民・武士など多くの旅人が利用しました。
木賃宿は、先日も書いたように旅人が米など食料を自前で用意して、その燃料代(つまり木賃)だけを支払って泊めてもらう宿屋です。
江戸時代初期の旅は、干飯(ほしいい)や米などを持参し、薪代(つまり木賃)を支払って、自分で焚くか宿屋に焚いてもらっていました。木賃だけでよいため、宿泊料は安くすみました。
そのため、六部や巡礼などは、施してもらったお米をもって木賃宿に泊まることが多くありました。
「東海道中膝栗毛」でも、弥次さん喜多さんが泊まった木賃宿で、六部や巡礼母娘と同宿となりました。
下画像は、東海道中膝栗毛の中の蒲原の挿絵ですが、囲炉裏のそばに巡礼の母娘と弥次さん(もしくは喜多さん)が描かれています。

木賃宿では、蒲団が準備されていることはあまりなくて、囲炉裏の傍で雑魚寝することも多かったようです。
旅の途中の自炊は大変なので、徐々に食事も準備しお酒も出してくれる旅籠が広がり、それが主流となりました。
しかし、格安の宿を求める旅人のニーズが常にあり、明治以降も木賃宿がなくなることはありませんでした。
歌川広重の描いた東海道五十三次シリーズの一つ「行書版東海道五十三次」のうちの「水口」(下画像)は、木賃宿を画材とした絵です。
左手に描かれた家の障子に「木ちん宿」と書かれています。家の前で藁を打っているのが、この宿の主人でしょう。
中央に描かれて4人は、これから木賃宿に入ろうとする人々で、先頭の2人は巡礼の夫婦、次が赤子を抱いている男性(おそらく親子で霊場を巡っているのでは!)、そして柄杓を持っているのは伊勢神宮への抜け参りの男の子でしょう。宿の中には、先に着いた六部と思われる宿泊者が煙草を吹かしています。

広重は中山道を描いた「木曽海道六拾九次」のうちの「御嶽」でも木賃宿を描いています。
宿屋の障子には「きちん宿」と大きく書かれています。宿の中には囲炉裏があり、その囲炉裏を囲みながら旅人たちが話をしています。よく見るの人々の中には巡礼の女性もいます。


