蒲原から府中まで(「東海道中膝栗毛」12)
今日は、蒲原から府中までの弥次さん喜多さんの旅の様子を書いていきます。三島の宿で「護摩の灰」のためにひどい目にあった弥次さん喜多さんも、2日間お金のない旅を続けて、ようやくお金の工面のあてがある府中に到着します。
【5日目のデータ】
①出発地 蒲原
②宿泊地 府中(泊まったのは宿屋でなく遊郭です)
③通過した宿場 蒲原⇒由井⇒興津⇒江尻⇒府中
④休憩場所 倉沢(由井と興津の間にある立場)、興津
⑤出発地から宿泊地までの距離 28.4キロ
※5日目の移動距離が約30キロと短いのですが、これは府中で旅の資金を工面する必要があったので、どうしても府中泊まりにする必要があったためでしょう。
【道中のあらすじ】
①蒲原から由井まで
夜這い騒ぎがあったため、ゆっくり寝られなかった夜が明けて、弥次さん喜多さんは、早々に木賃宿を出立しました。
出立早々に、弥次さんが「小田原で五右衛門風呂を踏み抜いて二朱取られ、昨夜は天井を踏み抜いて300文取られたのも知恵のない話だ」と喜多さんに言っています。これにより小田原と蒲原でいくら支払ったかわかります。
そして、弥次さんが昨夜の喜多八の夜這いのことをからかっているうちに由井の宿に着きましたが、蒲原から由井までは1里ですので、あっという間なのですね。
②由井から興津まで
由井の宿では、両側から呼び込みの声がやかましく聞こえてきます。
そこで一首
呼びたつる 女の声は かみそりや さてこそ ここは
髪由井(かみゆい)の宿
由井川を越え、倉沢という立場では海女がとった新鮮な鮑や栄螺(あわび)が売っているので、二人はここで休憩しました。
倉沢で休憩した後、難所の薩埵峠にかかりましたが、急に雨が降ってきてしまいました。二人は半合羽を着て笠を深く傾けた姿で一心不乱に歩きづづけます。そのため、名所の田子の浦や清見潟も見ることができず、ようやく興津の宿に着きました。
薩埵峠は難所ですし、雨の中でしたので、大変だったろうと思いますが、「東海道中膝栗毛」ではあさっり書かれていて、大変だったとは特に書かかれていません。
③興津から江尻まで
興津の宿では、雨宿りをかねてみすぼらしい茶店に入りました。
その茶店で黄粉(きなこ)のついた団子を注文し、食べ残した2本を隣の駕籠屋の小僧にやるというと、小僧は米ぬかのかかった団子はいらないといって断れてしまいます。黄粉だと思ったものが米ぬかだったのでした。
茶店のお婆さんに文句をいうと「米ぬかの団子はうちの名物だ」といわれて、ぶつぶつ言いながら犬にあげてしまいました。
茶店を出た後も雨は降り続け、洒落も無駄話もなくとぼとぼと歩いているうち江尻を過ぎ、そのころから雨がようやくあがってきました。
③江尻から府中まで
江尻を過ぎ雨が上がった街道で、旅人を乗せた馬を引いた馬子に煙草の火を借りたのをきっかけに、馬子と馬に乗った旅人の滑稽なやりとりを聞くことになります。江尻と府中の間は2里27町ありますが、馬子と旅人の話がおもしろくて、二人は足取り軽く、府中の宿に着きました。
④府中にて
府中では、伝馬町の宿屋に入り、弥次さんは、知人を訪ね借金をお願いし、無事にお金が工面でき、意気軒昂で宿屋に戻ってきました。
そこで、二人は有名な安倍川の遊郭に繰り出すことにしました。
二人は不案内とのことで、宿屋の主人に尋ねると24.5町あるので馬でいったらどうかと言われたので、二人は馬に乗って出かけました。
※弥次さん、「東海道中膝栗毛」の発端編では、駿河国府中の大商店の主人で、喜多さんは、府中の旅芸人一座の役者だったという説明がされています。しかし、この府中の宿屋でのやりとりでは、安倍川の遊郭がどこにあるか知らないということになっています。府中の商人と役者であれば、遊郭のある場所を知らないはずはないのですが、なぜが、二人とも不案内とされています。
府中での出来事は「東海道中膝栗毛」の第二編下に書かれています。これが出版されたのは享和3年(1803)です。発端編が出版されたのは文化11年(1814)のことです。多分、十返舎一九は、つじつまがあわないことは承知して、発端編を書き上げたのではないかと私は思います。
【安倍川の遊郭での出来事】
安倍川の遊郭に出かけた二人は、大門の脇で馬を降り、遊郭に入りあちこち見物しているうちに登楼しようということになり、遊女屋に上がり、弥次さんは小ざさという遊女、喜多さんはいさ川という遊女を相方に指名したうえで、酒肴を用意させ、相方や店の若い者含めて宴会をします。
その宴会の途中で隣の座敷では大勢の女郎が一人のお客を囲んで騒いでいます。これは、お客が浮気をしたため懲らしめているようです。常夏という女郎が剃刀で男の髪を切り落とそうとしますが、この男、いわゆる鬘でしたので、髪を切ろうとしたら、鬘が脱げてしまい、女郎が隠してしまいました。弱った客は平謝りに謝ったので、ようやく許されました。
こんな隣の大騒動を眺めているうちにお床入りの時間となり、弥次さん喜多さんは相方の部屋に行き、相方と府中の一晩を過ごしました。下画像は、「東海道中膝栗毛」の安倍川遊郭を描いた挿絵です。右の防火用の桶を積み重ねた屋根に「安部川」と書かれています。


