府中から蒲原まで(「東海道中膝栗毛」13)
府中で旅の費用を工面できて楽しい一夜を過ごした弥次さん喜多さんは、伊勢参宮の旅を再び始めました。6日目は、大井川を越えていく予定でしたが、鞠子を過ぎた宇津の山道で、岡部宿の客引きから大井川が川止めとなっていると聞き、やむを得ず岡部に泊まります。
【6日目のデータ】
①出発地 府中
②宿泊地 岡部
③通過した宿場 府中⇒鞠子⇒岡部
④休憩場所 鞠子
⑤出発地から宿泊地までの距離 13.8キロ
この日は、大井川を越える予定とのことなので、大井川を越えた金谷で泊まるのであれば、33.5キロ、さらにその次の日坂まで行くとする40.6キロということなりますが、大井川の川止めのため岡部で泊まりましたので歩いた距離は大幅に短くなっています。
【道中のあらすじ】
①府中から鞠子まで
安倍川の遊郭で夜を過ごした弥次さん喜多さんは、伝馬町の宿屋に帰り、朝飯を食べて旅立ちました。安倍川遊郭は、府中より西にあるため、また戻ることになります。安倍川遊郭の先にある安倍川沿いの「弥勒(静岡市葵区弥勒)」では名物の安倍川餅を勧められますが、珍しく二人は素通りしていきます。
そして、安倍川で川越人足に料金が64文だと言われたので、髙すぎるというと「今日は水かさが多い」と言われ、実際に川の様子を見ると、確かに水量が多いので、川越人足を頼んで、安倍川を渡ります。人足の肩車で安倍川を渡る途中あまりに水が深いのでびっくりしましたが、無事に渡りきります。
ほっとした二人が振り替って川越人足たちをみると、人足は浅い所を戻っていくのをみて、人足たちがあえて深い所を選んで渡ったことに気がつきました。そして、詠んだ狂歌が次の一首です。
川ごしの 肩車にて 我々を 深い所へ ひきまわし
安倍川を渡ったところの手越(静岡市駿河区手越)で、にわかに雨が降り出しため、半合羽で身を包み、急いて鞠子の宿に入りました。
②鞠子から岡部まで
雨宿りのため、二人は鞠子の茶屋に駆け込みました。
鞠子の名物は有名なとろろ汁です。早速、とろろ汁を注文しようとして、茶屋の亭主に「とろろ汁ができるか」と聞くと「できず」と言われ二人はびっくりしました。この地方では「できる」ということを「できず」と言うのでした。
茶屋の亭主は、とろろ汁の準備にとりかかります。
一人でやると間に合わないので、女房を呼んで手伝わせようとしますが、この夫婦が、お客そっちのけで夫婦喧嘩を始めてしまいます。
最初は口喧嘩ですが、やがて、亭主がとろろをすっていた擂粉木(すりこぎ)で女房をなぐりつけます。怒った女房は、とろろ汁が入ったすり鉢を亭主に投げつけました。そのため、一面がとろろ汁だらけとなります。その中で亭主は女房を擂粉木(すりこぎ)でなぐろうとするし女房はつかみかかろうとしますがとろろ汁のため滑って思うようにいきません。
騒ぎを聞いて駆け付けた近くのおかみさんも含めて茶店は大騒ぎとなってしまいました。
その様子を見ていた弥次さん喜多さんは、とろろ汁を食べるのをあきらめて茶店をでざるを得ませんでした。
鞠子の宿を過ぎると、東海道の難所の一つ宇津の山道ですが、この頃には雨も本降りとなります。その坂道で、弥次さんがころんでしまいました。
そこでできたのが次の一首です。
降りしきる あめやあられの 十(とう)だんご ころげて腰を うつの山道
※「十(とう)だんご」とは、宇津の山道の名物であった団子です。最後の部分は「腰をうつ」と「宇津の山道」とをかけたものとなっています。
宇津の山道を下っていくと、もう岡部の客引きがまちうけていました。
聞くと大井川が川止めとなっているとのことでした。岡部の先の藤枝や島田の宿は大名で一杯だというので、客引きにいわれるまま、相模屋という宿に泊まることになりました。
【鞠子の名物 とろろ汁】
鞠子の名物はとろろ汁です。
現在も丁字屋が、江戸時代さながらの風情で残されています。
歌川広重の東海道五十三次でも、名物茶店の副題で描かれています。
下画像は国立国会図書館データベースから転載したものです。

広重の絵には、「名ぶつとろろ汁」や「御茶漬」「酒さかな」などの看板を出す藁葺きの店で、弥次さんと喜多さんらしき旅人が酒を呑んだり、とろろ汁らしきものを食べており、子供を背負った茶店の女が給仕をしています。
しかし、『東海道中膝栗毛』では、前述のように茶店の夫婦が喧嘩を始めてしまったため、弥次さん・喜多さんは、名物のとろろ汁を食べられませんでした。

