浜松から赤坂まで(「東海道中膝栗毛」17)
弥次さん喜多さんの東海道の旅も9日目を迎えました。8日目には天竜川を船で渡りましたが、天竜川を渡った地点に中の町という場所があります。ここは、日本橋から測っても三条大橋から測ってもちょうど中間だということから中の町と呼ばれています。
すでにそこを越えたわけですので、東海道の旅も後半になっています。
今回は、浜松から赤坂まで旅します。この日も、弥次さん喜多さんにとって様々なことがおきています。
①今切の渡しでは竹光製の脇差を流してみんなに笑われたり、②猿ケ馬場の立場では駕籠かきの計略にはまって酒をおごるはめになったり、③御油の松原では狐さわぎをおこしたりといろいろなことがありました。
【9日目のデータ】
①出発地 浜松
②宿泊地 赤坂
③通過した宿場 浜松⇒舞坂⇒新居⇒白須賀⇒二川⇒吉田⇒御油⇒赤坂
④休憩場所 新居 猿ケ馬場(立場) 御油
⑤出発地から宿泊地までの距離 45.4キロ
今日歩いた距離は、これまでで最高となります。浜松から御油までは43.7キロですが、御油では暗くなっていましたが、次の赤坂までは1.7キロしかないこともあって、赤坂で泊まっています。
【道中のあらすじ】
①浜松から舞坂まで
浜松の宿での幽霊騒ぎの夜があけて、朝ご飯を食べて弥次さん喜多さんは宿を出立しました。
浜松から舞坂までの距離は2里30町(約11.1キロ)あり、結構な距離ですが、弥次さん喜多さんはが茶店で買ったぼた餅をとんびにさらわれてるぐらいのできごとがありましたが、それ以外大きな出来事もなく旅しています。
喜多さんが篠原でぼた餅を三つ買って、一つを弥次さんにあげて、もう一つを掌にのせると鳶がちょっとさらっていきます。
そこで、喜多さんが次の歌を詠みました。
あいた口ふさがれもせぬ そのうえに
はなをあかせし とびのにくさよ
そうしているうちに舞坂につきました。
②舞坂から新居まで
舞坂から新居までは、海上一里の渡し船です。
その船のなかで、乗客の膝の下や薄縁の下をしきりに探っている親爺がいました。その親爺は、弥次さんの袖の下まで探るので、弥次さんが怒って何をすると問い詰めると、探し物をしていると言います、弥次さんが何を探していると聞きますが、なかなかしゃべりません。そこで繰り返し問い詰めるとついに「蛇をさがしている」といいました。船中みんなびっくりして探すと蛇がみつかり、親爺がそれをつかまえました。蛇を捨てるように説得しても親爺はなかなか納得しないので怒った喜多さんが親爺の胸ぐらをつかむと蛇がまた逃げ出しました。そして、ようやく喜多さんが自分の脇差に巻きつかせたので、蛇を海中に投げ込もうとしたところ、手が滑って脇差も海に投げ込んでしまいました。しかも、脇差が海中に沈まずにぷかりぷかりと流れていったため、竹光であることがすっかりわかり、喜多さんは面目もなくしょ気返ります。
騒ぎがおさまるとまもなく、新居の関所前に渡し船がつきました。
弥次さん喜多さんも船をおり、無事関所を通り過ぎることができました。東海道中膝栗毛では、箱根関所の通過の様子は詳しく書かれていませんでしたが、新居関所の通過場面も詳しくは書かれていません。
しかし、弥次さん喜多さんは、関所を無事通過できてほっとしたのでしょう、新居でも酒をくみかわしています。
下挿絵は新居関所です。中央に描かれているのが新居関所です。今切の渡の船着き場は、関所の目の前にあることがわかります。船を降りると関所のチェックがありました。
③新居から白須賀まで
弥次さん喜多さん、新居で名物の鰻の蒲焼を食べて、宿はずれから弥次さん喜多さんは二川にむけて駕籠にのりました。そして、途中で二川から新居に向かう駕籠と出会い、その駕籠同志がお互いの客を交換して、それぞれ二川と新居に戻ることになり、弥次さん喜多さんは二川から来た駕籠に乗り替えました。
喜多さんが駕籠を乗り替えると、座蒲団が盛り上がっているので不思議に思い調べてみると4文銭を繋いだ銭緡(ぜにさし)(=一本で100文)がでてきました。喜多さんは、知らんぶりをして懐にいれてしまいました。
そうしているうちに白須賀につきました。
③白須賀から二川まで
白須賀を過ぎて汐見坂を越えて、猿ケ馬場で駕籠かきが一休みすることとなりました。
そこで、喜多さんは、思いがけず100文を手に入れたので、豪気にも駕籠かきに酒を一杯ひっかけるように言います。
早速、弥次さんがずいぶん鷹揚なことをいうなというと喜多さんは銭緡100文を見せてこれでおごるんだと説明しました。
早速、駕籠かき4人が酒を飲み始め、最後はゲップが出るほど飲みました。値段をきくと380文ということで、喜多さんしょげ返って、先ほど拾った100文では足らず、さらに追加する羽目となりました。
酒代を払い終わった時、駕籠かきが蒲団の間に入れておいた四文銭の束を知らないかと喜多さんに聞きます。喜多さん、最初は知らんぷりをしていましたが、ついには自分の懐から四文銭一本を出し、座蒲団の間にこっそり戻した後で、「おぉ! ここにあった」といかにも見つけたフリをしてごまかしました。それから駕籠は動き出しました。その時詠んだ歌が次の一首です。
拾うたと 思ひし銭は 猿が餅
右から左の 酒にとられた
④二川から吉田まで
二川の問屋まで駕籠できた弥次さん喜多さんは、大名の中間(ちゅうげん)たちと一悶着をおこしましたが、喧嘩になりそうとなった段階で、大名の出発の合図があり、喧嘩は免れました。
その後、弥次さんが喜多さんに坊主に会ったら、荷物を持ちかえるという坊主持という遊びをしようと言いだしました。最初に喜多さんが荷物を持つこととなりました。そうして、坊主に会うたびに交代で荷物を持っていると三人づれの比丘尼と会いました。比丘尼から煙草をきらしたので一服欲しいとお願いされた喜多さんは煙草を全てあげてしまいました。下心があったようです。しかし、二軒茶屋まで来ると、村内を廻るといわれて、あっさり分かれていったので、喜多さんは大変悔しがりました。
そうこうしているうちに吉田宿につきました。
⑤吉田から御油まで
吉田宿の端(はずれ)から伊勢参りの一行と一緒になります。この一行は、義経とか静御前とか呼び合っているのでその事情を聞くと、田舎では、自分たちで芝居をやっていて、その役をよく覚えるように普段から言い合っているので、旅の途中でも、その名が出るとことでした。この話題で伊勢参りの一行とひとしきり話が盛り上がりましたが、途中の茶屋で伊勢参り一行は休んでいくこととなりました。
ここまで来ると弥次さんはくたびれてしまい、喜多さんだけが赤坂まで先行し、宿を決めることになり、喜多さんだけ先を急ぎました。
⑥御油から赤坂まで
弥次さんが御油の宿に入ると、有名な留女が弥次さんの袖を引きます。弥次さんは、それを強引に振り切りって先に進みます。
そこで詠んだ歌が次の一首です。
その顔で とめだてなさば 宿の名の
御油るされいと 逃げて行かばや
弥次さんは、あまりにも疲れたので、宿はずれの茶屋で休みます。
するとその茶店のおばあさんが、この先の松原では悪い狐に旅人がよく騙されるので御油で泊まったほうが良いと教えてくれました。
しかし、喜多さんが先に行っているため御油に泊まることができないので弥次さんは先に進むことにしました。
一方、喜多さんもいたずらをする狐の話を聞いたため一人で赤坂まで行く勇気がなく、松原の手前で弥次さんを待っていました。
しかし、そのことを知らない弥次さんは、喜多さんに狐が化けたものだとばかり思って、喜多さんが狐でなく本人だといくらいっても信じようとしません。
弥次さんは喜多さんを縛り上げ、ついに赤坂宿はつれてきます。そして、犬をけしかけますが、喜多さんは普段通りでした。そこで、ようやく喜多さんらしいと思うようになりました。
そこで、喜多さんの縄を解いて、宿屋を探して泊まることになりました。
【赤坂の宿での出来事】
宿屋に泊って部屋に案内されても弥次さんはまだ狐にだまされているのではないかと疑っています。
お風呂をどうぞと言われれば水風呂ではないかと疑います。そこで喜多さんが先に風呂に入ります。
その間に亭主が部屋を訪れて「今晩は、この家に祝い事があるので酒をさしあげる」と言って、酒肴を部屋に運び込みました。
弥次さんは、この酒も疑いますが、喜多さんが戻り、酒を飲み始めるとつられて一杯飲んでみると美味しい酒であったので、たちまち酒を呑み出し、喜多さんと指しす指されつとなりました。
一方、宿屋の離れ座敷では婚礼が始まったようで、婚礼の謡が聞こえてきました。
しばらくして、床を敷きにきた女中が言うには、花婿と花嫁が弥次さん喜多さんの部屋の隣の部屋で寝る予定だと言っていきます。
二人はまもなく床につきました。隣からは花嫁花婿の話が聞こえてきます。二人の話し声にたまらなくなった弥次さんは隣の座敷を覗きにいきます。喜多さんも覗こうとしますが、弥次さんがどかないので、二人は押し合いをはじめ、そのはずみで二つの部屋の襖が倒れ、さらに行燈も倒れ部屋はまっくらとなります。
すぐに弥次さんは自分の寝床に戻りますが、喜多さんは花婿に捕まってしまいました。そのうち女中が蝋燭をもってやってきたので、喜多さんもすごすごと自分の布団に戻りました。
そして、二つの部屋も静かになり、赤坂の夜が更けていきました。

