渋沢栄一記念館(渋沢栄一ゆかりの地13)
中の家(なかんち)関係のご案内を一区切りつけて、今日は、渋沢栄一記念館をご案内します。
渋沢栄一記念館は中の家(なかんち)から約1キロあります。徒歩で13分ほどかかります。車ですと3.4分程度の距離です。
渋沢栄一記念館にも広い駐車場がありますので、車でも訪ねても安心です。
(下写真は駐車場からみた記念館です)

渋沢栄一記念館は、平成7年11月11日に開館しました。ちなみに11月11日は栄一の祥月命日です。渋沢栄一記念館は八基公民館と一緒になっていて、大きな建物です。(下写真)

館内に入ると右手に渋沢栄一資料室があり、栄一に関係する資料が展示されています。
昔訪ねた時には、写真撮影がOKでしたが、昨年秋に訪ねた際には、写真撮影は禁止されていました。
下写真は渋沢栄一資料室の入り口の写真です。

「渋沢栄一アンドロイド」
いま、渋沢栄一記念館で人気があるのが「渋沢栄一アンドロイド」です。
「渋沢栄一アンドロイド」は、当時の渋沢栄一の風貌を忠実に再現してあります。
この「渋沢栄一アンドロイド」は、株式会社ドトールコーヒー名誉会長鳥羽博道氏の寄付により制作されたものです。ちなみに鳥羽博道氏は、深谷市出身です。
私はコーヒーを飲む時に、ドトールコーヒーがあれば必ずドトールコーヒーに行くというドトールファンですので、そこの創業者が深谷出身と聞いて、一層ファンになりました。

栄一の音声も復元されていて、アンドロイドによる講義も行われます。
アンドロイドの渋沢栄一が語る講義内容は、大正時代に渋沢栄一が語った『道徳経済合一説』をもとにしてありますが、言葉遣いは現代風にアレンジしてあります。
私が訪ねた際は、事前予約制で、30 分あたり20 名と人数も制限され、席の間隔も空けてあり、感染対策はしっかりされていましたので、安心して聞くことができました。下写真は講義の風景です。

アンドロイドが渋沢栄一の肉声を復元できているのは、栄一の肉声が残されているからだと思います。記念館には、栄一が大正12年6月13日に「経済道徳説」について語った講演の音声を聞くことができます。
私も、栄一の肉声を聞いて比較してみましたが、アンドロイドの音声はよく似ていると思いました。

なお、栄一の肉声は、北区の渋沢栄一史料館のオンラインショップで「CD 『肉声で聞く渋沢栄一の思想と行動』」として販売されています。
講義の最後には、写真撮影時間もあります。
大河ドラマ「青天を衝け」のタイトルの由来
2階のロビーに栄一が作った「内山峡」という漢詩の石碑の拓本の複製が展示されていました。

内山峡は、長野県佐久市のコスモス街道と呼ばれる国道254号線沿いあります。「信州耶馬渓」とも呼ばれ無数の奇岩が見られる景勝の地です。
栄一は、19歳の時、従兄であり師でもある尾高惇忠とともに信州佐久に藍玉の販売に出かけましたが、その時、詠んだ漢詩が「内山峡」です。
栄一と尾高惇忠の共作「巡信紀詩」の中に取り入れられています。
大河ドラマ「青天を衝け」がいよいよ2月14日から放送されます。
この「青天を衝け」というタイトルはこの「内山峡」の一節からとられていますが、この由来についても説明されていました。
「内山峡」はかなり長文な詩ですが、そのなかに
「勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征」
という一節があります。読み下すと次のようになります。
「勢いは青天(せいてん)を衝(つ)いて臂(ひじ)を攘(まくり)て躋(のぼ)り 気は白雲を穿(うがち)て手に唾(つば)して征(ゆ)く」
これが、大河ドラマのタイトル「晴天を衝け」の由来です。
この内山峡という漢詩に、感激した地元の人々により、 昭和15年11月に石碑が刻まれ岩壁にはめ込まれています。渋沢栄一記念館で展示されているものは、その石碑の拓本の複製です。
渋沢栄一銅像
記念館の裏手(北側)に巨大な渋沢栄一の銅像が設置されています。(下写真)

もともとは昭和63年3月に深谷駅前に建立されたものですが、平成7年10月に渋沢栄一記念館が完成したため、故郷の地に移したものだそうです。
栄一がしばしば見たであろう上毛三山の一つ赤城山を見つめて立っています。
館内には、「栄一翁」という地酒も売られていました。


