尾高惇忠生家(渋沢栄一ゆかりの地14)
今日は、尾高惇忠(じゅんちゅう)生家をご案内します。
※尾高惇忠の名前の呼び方ですが、深谷市では「じゅんちゅう」と呼ばれていて、NHK大河ドラマ「青天を衝け」でも「じゅんちゅう」とフリガナがふられていますので、「あつただ」でなく音読みでフリガナをふりました。
尾高惇忠(じゅんちゅう)生家は、深谷駅からタクシーで約15分のところにあります。
前回ご案内した渋沢栄一記念館からは徒歩10分の所にあります。

尾高惇忠(じゅんちゅう)は、下手計村の名主尾高勝五郎保孝行の長男として生まれました。
惇忠(じゅんちゅう)の母やへは、「東の家(ひがしんち)」の二代目渋沢宗助(宗休)の長女です。渋沢栄一の父市郎右衛門は二代目渋沢宗助(宗休)三男でやへの弟ですので、惇忠(じゅんちゅう)と栄一は従兄弟となります。
また、のちに栄一は惇忠(じゅんちゅう)の妹千代と結婚しますので、義理の兄ということにもなります。
座敷には惇忠(じゅんちゅう)の写真も展示されていました。

尾高惇忠(じゅんちゅう)は、学問に優れており、栄一も尾高惇忠(じゅんちゅう)から教えを受けました。
また、惇忠(じゅんちゅう)は、12歳の時に 父に連れられて水戸藩の追鳥狩を見てから、水戸学の影響を受けるようになり、栄一も思想・行動面で大きな影響を受けました。
尾高惇忠(じゅんちゅう)生家は、瓦葺2 階建の建物で、1 階261.52 ㎡(約79.2坪)、2 階97.92 ㎡(約29.7坪)の広さがあります。この建物は、江戸時代後期に尾高惇忠の曽祖父磯五郎が建てたものと言われています。
当時は「油屋」の屋号で呼ばれ、油の小売や藍玉の卸をしていたそうです。「油」というのは食用油でなく、灯火用の菜種などの油で、明治になってからはランプ用の灯油を販売していたようです。
この地方の商家建物の趣を残す貴重な建物とされていて、平成22 年2 月に深谷市史跡に指定されています。下写真は入り口です。

建物は玄関から裏口まで土間となっていて、土間の左手に座敷が広がっています。
下写真は、土間から座敷を写したものです。

主屋の裏には、煉瓦造りの倉庫があります。この倉庫は、「上敷免(じょうしきめん)製」の刻印を残す煉瓦が使われており、日本煉瓦製造株式会社ができた明治21 年以降の建築と考えられています。
※「上敷免(じょうしきめん)」というのは深谷市の地名で、ここに日本煉瓦製造㈱が創設され明治21年から操業を開始しました。従って「上敷免(じょうしきめん)製」というのは「日本煉瓦製造が作った煉瓦」という意味だと思われます。
下の地図の中央に尾高惇忠生家があります。

