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高島秋帆と渋沢栄一(「青天を衝け」3)

高島秋帆と渋沢栄一(「青天を衝け」3

 「青天を衝け」初回から意外な人物が登場して驚きました。一人は徳川家康ですが、もう一人は高島秋帆です。

 出演者の発表で玉木宏が高島秋帆を演じるので、それなりにインパクトのある描き方だろうと推測をしていましたが、まさか第一話から登場するとは思いませんでしたし、その登場も意外な形なので驚きました。

 高島秋帆は、岡部藩陣屋に7年ほど幽閉されていました。そして、栄一のふるさと血洗島は岡部藩領ですので、二人に縁が全くないとはいえません。

 しかし、史実上では栄一と高島秋帆が直接接したことはありません。

 今回の「青天を衝け」で二人が出会うシーンは脚本の中で作り上げられたストーリーです。ですから、栄一が、唐丸駕籠で岡部陣屋に送られる高島秋帆を見かけることもなかったし、小川や牢獄で高島秋帆と会うことも実際はありませんでした。

 しかし、史実と違うストーリーを描き出すのが大河ドラマの醍醐味だと思います。高島秋帆という人物にスポットが当てられて良かったのではないかと思います。特に長崎の人たちは喜んでいるのではないでしょうか。

 

 さて、高島秋帆については、過去にこのブログでシリーズで書いています。

 「青天を衝け」をきっかけに、昨日・今日とそれらの記事にも多くのアクセスがありますので、ご興味のある方は、それらをご覧ください。

高島秋帆幽囚の地〔高島秋帆①)

高島秋帆の幽囚中の暮らしぶり〔高島秋帆②)

高島秋帆の赦免(高島秋帆③) 

高島秋帆を預かった岡部藩(高島秋帆④)
 高島秋帆のお墓(白山ミニ散歩④)

 今日は、「青天を衝け」と関係づけながら改めて高島秋帆について書いてみます。

高島秋帆は、肥前国長崎の町年寄でしたが、洋式砲術を採用すべきだとする意見書を江戸幕府に提出し、天保12年(1841)幕命により江戸に出て、徳丸ケ原(東京都板橋区)で日本最初の洋式砲術演習を行いました。

 洋式砲術の威力を実感した幕府により高島流砲術が採用され、江川太郎左衛門、下曾根金三郎に高島流砲術を伝えて長崎に帰りました。

 しかし、蘭学嫌いの南町奉行鳥居耀蔵の陰謀により、長崎で逮捕され、江戸に送られ小伝馬町牢屋敷に投獄されました。

そして、逮捕後4年近く経った弘化3年(1846)にようやく判決が下りました。

「本来は遠島であるところ、小伝馬町牢屋敷が延焼した際に実行され解き放しで一旦解放されても、逃亡せずに牢屋敷に戻ってきたため、中追放に減刑する。しかし、中追放といっても、囲い地外で自由に行動させるわけにいかないので、岡部藩に永久に預けることとする」という判決でした。

そのため、高島秋帆は岡部藩陣屋内に幽閉されることとなりました。

「青天を衝け」で駕籠で送られていたのは、このためです。数え年7才の栄一が実際に見たことはないと思いますが、高島秋帆はおそらく中山道を護送されてきたものと思います。

高島秋帆が幽閉された場所は、岡部藩の陣屋内です。

現在は、「高島秋帆幽囚の地」の碑が建てられています。(下写真) 以前訪ねたことがありますが、「青天を衝け」で描かれることから、以前に比べて少し整備されたようです。

高島秋帆と渋沢栄一(「青天を衝け」3)_c0187004_13372733.jpg


碑の説明板には、「碑がある場所は、当時の岡部藩陣屋の一角であり、この石碑の立つ場所に秋帆は幽囚されていた。岡部藩では客分扱いとし、藩士に兵学を指導したと伝えられている。」と書かれています。

石碑の脇に石碑周辺の地図が掲示されていました。(下写真)その中にピンクの部分がありますが、それが岡部陣屋の範囲だそうです。それを見ると陣屋は中山道に面していたものと思われます。
 もし陣屋の正門が中山道に面しているとすると、高島秋帆は陣屋の最奥に幽閉されていたことになります。

高島秋帆と渋沢栄一(「青天を衝け」3)_c0187004_19550666.jpg

「評伝高島秋帆」(石山滋夫著)によれば、高島秋帆が長崎の知人に出した手紙には「此の陣屋四方に松杉茂り、その内に竹垣をめぐらし、又板塀を廻し、家の内に囲いを作り、 二寸角のものを次の間に、或いは縁先は一寸三分位のものにて荒格子でございます。(中略)番士の情けにて折々庭に出、菊を植えさせおき、それなどをいしって楽しむ儀もございます。これもごくごく内々の事にて、門戸を〆切りまして手狭の庭に出すくらいでございます。」と書いてあるそうです。

従って、部屋(四畳だったそうです)の周りには格子が設けられているので、自由に出入りはできなかったようですが、時には庭にでて菊を楽しむことだできたようです。この高島秋帆が友人に出した手紙からすると、「青天を衝け」で描かれたような牢獄という雰囲気ではなかったと思います。しかし、高島秋帆自身にとっては、大差はなかったものと思います。

長いこと岡部藩に幽閉されていた高島秋帆もようやく解放される時が来ます。それは、嘉永6年(18538月のことです。

嘉永663日のペリー来航したのをきっかけに、韮山の代官江川太郎左衛門英龍から、嘆願書が出され、この嘆願を受けて、釈放されることになります。

高島秋帆は、岡部陣屋に約7年幽閉されていたことになります。

嘉永6年(1853)といえば、栄一が数え年13歳になります。

さぁ「青天を衝け」で、栄一は高島秋帆とどんな接点があるのでしょうか。またどんなことを学ぶのでしょうか?

予告動画を見ると、袴を穿いた玉木宏演ずる高島秋帆の旅姿が出てきます。おそらく赦免され江戸に帰る時の場面だろうと推測しています。少なくとも、そこで、栄一を励ます場面があるのではないかと期待しています。今後の展開が楽しみです。


下地図の岡部陣屋跡の場所に「高島秋帆幽囚の地」の碑が建てられています。





《高島平の地名の由来》

高島秋帆と渋沢栄一(「青天を衝け」3)_c0187004_19112666.jpg

現在、東京に高島平という地域があります。都営地下鉄の駅名や団地名にもなっているのでご存知の方が多いと思いますが、この地名は、高島秋帆が砲術演習を行ったことに由来する地名です。

高島平周辺一帯は、江戸時代には、徳丸原と呼ばれ、水田や草刈場が広がっていました。当初は幕府の鷹場でしたが、のちに砲術訓練場として使われました。

前述のごとく、この徳丸ヶ原で高島秋帆によって、洋式砲術演習が行われました。秋帆は弁天塚(現の新高島平駅)付近に陣を構えて演習を行いました。このことから、昭和4431日、高島秋帆にちなみ、町名「高島平」が誕生しました。

現在、高島秋帆が陣を構えた弁天塚近くの新高島平駅近くの徳丸ヶ原公園に高島平の地名の由来を書いた説明板と「徳丸原遺跡」と刻まれた石碑が建てられています。(上写真)






by wheatbaku | 2021-02-15 13:35 | 大河ドラマ「青天を衝け」

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