諏訪神社と渋沢栄一(「青天を衝け」8)
「青天を衝け」第2話では栄一と喜作が獅子舞を踊っていました。
この獅子舞は、渋沢栄一も実際に小さい頃舞ったことがある血洗島の諏訪神社の獅子舞です。
諏訪神社の獅子舞は、戦国時代末期の元亀2年(1571)に始まったと伝えられている歴史ある獅子舞です。現在も血洗島獅子舞保存会により保存されていて、深谷市の無形民俗文化財に指定されています。
獅子舞は、明治以前は7月27日の夏祭りで奉納されていたそうですが、大正以降9月17日に移り、さらに養蚕などの関係で10月17日となり、現在は、血洗島諏訪神社の秋の例大祭(10月第3土曜日・日曜日)に奉納されています。
獅子舞は、諏訪神社だけでなく、「四社(ししゃ)参り」といって、渋沢稲荷神社、笠原稲荷神社、福島聖天神社、吉岡大神宮の四社を回ります。これは、血洗島村開創の歴史が関係しているようです。
「青天を衝け」の獅子舞の獅子頭も諏訪神社に保存されている本物を利用しているそうです。ちなみにロケは血洗島の諏訪神社ではなく、埼玉県嵐山町の神社でおこなわれたそうです。諏訪神社の宮司さんをはじめ保存会の人々もロケに参加して協力したそうです。
「青天を衝け紀行」でも紹介されていた血洗島の諏訪神社は、血洗島の鎮守で、小さい頃から渋沢栄一と縁の深い神社ですが、栄一は、東京で大成した後も、秋の例大祭にはほぼ毎年のように帰ってきて、獅子舞を楽しんだそうです。
そんなことから、現在の諏訪神社には、栄一ゆかりのものが数多くあります。(下写真は諏訪神社の石造鳥居です。)

既に「諏訪神社(渋沢栄一ゆかりの地11)」で紹介していますが、改めて、栄一ゆかりのものを中心にご案内します。
血洗島は、栄一が生まれて中の家(なかんち)から歩いて5分くらいで参道入り口に到着します。
諏訪神社周辺の道路は道路幅が狭いので、中の家(なかんち)前の駐車場に車をおいて歩いていくのがよいと思います。
諏訪神社の参道入り口に「村社諏訪神社」と刻まれた社号標が建っています。この社号標は、明治30年に栄一が揮毫したものです。(『渋沢栄一伝記資料』より)
諏訪神社の社殿は東を向いていて、鳥居が二つあり、二つとも東を向いています。最初の鳥居は石造の鳥居です。(上写真)
その石鳥居の右側に大きな石碑がありますが、これは渋沢親子遺徳顕彰碑と呼ばれている石碑で昭和48年に建立されています。

栄一が中の家(なかんち)を出て行ったあと中の家(なかんち)を守った市郎、そして市郎の次男治太郎、さらに名古屋大学総長を退任した後血洗島に戻り中の家(なかんち)を守った長男元治、この三人を顕彰するものです。
次いで木造の両部鳥居があります。(下写真)

この鳥居に掲げられている「諏訪神社」の扁額は、栄一が揮毫したものです。(下写真) 「青天を衝け紀行」で紹介されていたのもこの扁額です。

そして、参道正面に見えてくるのが拝殿です。(下写真)
この拝殿は、栄一がその費用を全額負担して、大正5年9月に竣工したものです。これについては詳しくは「諏訪神社(渋沢栄一ゆかりの地11)」 で紹介してあります。

拝殿の後ろに本殿があります。
現在の本殿は、明治40年9月に竣工したもので、栄一と当時の血洗島村民が費用を折半して造営されました。

その本殿に掲げられている「諏訪神社」の扁額は栄一の書によるものです。(下写真)『渋沢栄一伝記資料』によると、この扁額は明治30年に栄一が揮毫したものです。

社殿の南側には、栄一の喜寿を記念して建立された「渋沢青淵翁喜寿記念碑」があります。詳しくは「諏訪神社(渋沢栄一ゆかりの地11)」 で紹介していますので、写真だけ載せておきます。


