鹿島神社(渋沢栄一ゆかりの地17)
血洗島の渋沢栄一ゆかりの地は、第16回の尾高惇忠生家までご案内しました。
今日は、渋沢栄一記念館と尾高惇忠生家の中間にある鹿島神社をご案内します。
鹿島神社は、渋沢栄一記念館からは徒歩で5分、尾高惇忠生家からは徒歩で7分のところにあります。下写真は、道路脇にある石灯篭です。ここから参道が始まります。

鹿島神社は下手計村の鎮守で、境内にある案内板によれば創立年代は不明だが、平安時代の初めの平将門追討の際、源経基の家臣がこの地に陣をはった際に当社を祀ったと伝えられているそうです。
鹿島神社の参道を歩いていくと社殿手前の右手に既に枯れていて、ますが、周辺はネットで囲われている大きな欅の木の株が残されています。(下写真)

この木の根元を見ると空洞(うろ)になっているのがわかります。その空洞の中をみると既に水はありませんが泉の痕跡が残されています。(下写真)

昔は、ここから水が湧き出ていて、この水を沸かした風呂が境内にあったそうです。
栄一の妻千代のことを書いた小説「たおやかな農婦」の中に、栄一の母えいが近くに住むハンセン氏病の婦人と一緒に風呂に入る場面があり、この空洞の井戸について次のように書いてあります。
「鹿島の湯というのは、千代の生まれた下手計村の鎮守様、あの鹿島明神の湯である。拝殿の手前に、樹齢何百年という欅の大樹があって、その根方が空洞になった下に井戸がある。この井戸は、昔は木のかたわらにあったのだが、幹が成長するうちに、中に包んでしまったのだろうとも、あるいは、後から洞の中に掘ったのだろうともいわれていた。」
また、鹿島神社の宮司さんによれば、欅の大木のそばに、『渋沢栄一伝記資料』に、「(尾高長七郎が)道場を村内なる鹿島神社の傍に営みて、子弟に教授す。」と書いてある道場があったそうです。
明治14年に建てられたという鹿島神社の拝殿には、栄一が書いた扁額が掲げられています。(下写真)

血洗島の諏訪神社の拝殿脇に栄一の長女穂積歌子から奉納された橘があるとご案内しましたが、鹿島神社にも穂積歌子から奉納された橘があります。下写真の奥にあるのが拝殿ですが、拝殿の手前右手にあるのが橘です。

広い境内の南東隅に「藍香尾高翁頌徳碑」が建てられています。
この碑には明治42年に建てられたもので、尾高惇忠(号は藍香という)の業績や人柄が刻まれていて、深谷市指定有形文化財に指定されています。(下写真)

この碑は徳川慶喜が篆額を書き、三島毅の撰文で、日下部東作の書によるものです。
この碑の除幕式は、明治42年4月18日に行われ、栄一夫妻はじめとした渋沢一族、尾高家一族の人々のほか島田埼玉県知事・島崎大里郡長など多くの人が参列して盛大に挙行されました。

