栄一の藍葉買い入れ(「青天を衝け」14)
昨夜の「青天を衝け」第3話では、栄一が父市郎右衛門の代わりに藍葉の買い入れを行う場面は非常に丁寧に描かれていました。
しかも母親が買い入れを許す場面や栄一が生き生きと商売をしている様子や市郎右衛門に褒められた時の喜びあふれた様子が表現豊かに描かれていて大変良かったと思いました。
「青天を衝け」でも藍の葉が描かれていましたが、下写真は、血洗島の中の家(なかんち)に植えてあった藍の写真です。昨年11月に訪ねているため、もう藍の花が咲いていましたが、花が咲くような状態の藍は藍玉を作るためには不適切だそうです。

栄一の藍葉買い入れの場面は、一部を除き、栄一の自叙伝「雨夜譚(がたり)」の通りです。
下記の「雨夜譚(がたり)」を読んでいただくと、「青天を衝け」の場面は、買い付けの許しをもらう相手と買い付け場所以外は、ほぼ、「雨夜譚(がたり)」通りだとわかると思います。
「雨夜譚(がたり)」には、次のようにかなり詳しく書かれています。長い引用になりますが、ぜひお読みください。
「自分が14の年すなわち嘉永6年には、関東は余程の旱魃(かんばつ)で、一番藍は誠に不作であつたが、幸に二番藍は頗(すこぶ)るよくできたから父のいわれるには、今年の二番藍は上作だによって、かなり沢山に買入れたいが、おれは信州上州の紺屋廻りに出掛るから、買出しに行くことは出来ぬがどうか買いたいものだ、お祖父さんは(父の養父自分の祖父敬林居士という人)もう年を取って、あまり家事の世話はできぬけれども、今年の藍を買うことだけは、なにとぞ心配して下さい、又、栄次郎(栄一の幼名)も子供ながら、前途商売の修行に、お祖父さんの供をして、その駈引を見習うがよい、とこまごま留守中のことを示しておいて、旅立たれました。
そこで自分の思うには、自分とても、藍の善悪の分らぬことはない、よし、一番父上の留守中に買ってみせようという考えをしていたが、そのうちに藍葉買入の期節になったから、初日には祖父に随行して矢島といふ村へ行って、1.2軒買つけました。
その時、自分の心では、父は世間で藍の鑑定家だといって、褒られるほどの人であるから、これに随行するのは恥かしくないが、お祖父さんに随行して、藍を買い歩くのは、人が笑うであろうという妙な考えを起して、どうか自分一人で買入れて見たいと思つたから、お祖父さん、私は横瀬村の方へゆきたいと思います、と言ったところが、祖父は自分のいうことを怪しむで、おまえ一人でいってもしかたがあるまいと言われたから、さようさ、一人では仕方がないが、どうか廻ってみて帰りたいといって、それから幾らかの金子(きんす)を祖父から受取って、それを胴巻に入れて、着物の八ツ口のところから腹に結び 祖父に別れて横瀬村から新野村にいって、藍を買いに来たと吹聴したけれども、その頃、自分はまだ鳶口髷の小供だから、おのずから人が軽侮して信用しなかった。
しかし自分は、これまで、幾度も父に随行して、藍の買入方を見ていたから、これは肥料がすくないとか、是は肥料が〆粕でないとか、あるいは乾燥《ホシ》が悪いからいけないとか、茎の切り方がわるいとか、下葉が枯《アガ》つているとか、まるで医者の病を診察するようなことをいうのを、聞覚えていて、口真似くらいは何んでもないゆえ、いちいち弁じた処が、人々が大きに驚いて、妙な小供が来たといって、却て珍らしがって相手になったから、ついに新野村ばかりで、都合21軒の藍を悉く買ってしまった。
それを買うときには、おまえの藍は肥料がわるい、本当の〆粕が遣ってないからいけないなどというと、なるほどさようでござります、どうしてそれが分りますかといって、村の人に大層褒られた。
その翌日は、横瀬村に宮戸村、又その翌々日は、大塚島村や内ケ島村の辺りを頻りに買って歩くのを見て、祖父がオレも一所にゆかなければならぬというから、なにあなたが、いかんでもよろしいといって、たいがいその年の藍は一人で買集めたが、ほどなく父も旅先から帰って来られて、自分の買入れておいた藍をみて、大きにその手際をほめられたことがありました。」
長い引用を読んでいただきありがとうございました。
「青天を衝け」では、母から許可をもらい、信州まで藍葉の買い付けにいっていますが、実際に、祖父から許しをえて、藍葉の買い入れに行った先は、血洗島村の近隣の矢島村(現在の深谷市矢島)新野村(現在の群馬県太田市鳥之郷と思われる)、横瀬村、宮戸村、大塚島村、内ヶ島村(いずれも、埼玉県深谷市)の村々でした。
「雨夜譚(がたり)」と多少の違いはありますが、それを映像化した「青天を衝け」の表現が素晴らしいと思います。
ところで、第2話で、市郎右衛門が藍葉の見極めをする場面がありました。その鑑定する力についても栄一は『青淵回顧録』に次のように書いています。
「父は藍を栽培する地方の農業者間に評判がよく、『市郎右衛門さんは、良い藍でないと買わぬから、今年は一つ市郎右衛門さんに買い取って貰って、賞められる様にしたい』などと言いあったものである。そしていずれも栽培に苦心して年々良い藍が出来るようになった。」
また、藍玉の品質についても次のように書いています。
「父は農家より藍葉を買い取り、これを藍玉に製造して紺屋に売り渡したものであるが、紺屋の方でも父の売る藍玉はすこぶる好評で、去年よりも今年の藍玉は上質であるなぞと賞められると、父はこれを無上の悦びとし、自分の家で売る藍玉の品質と産額とが、毎年進歩して行くのを見て、唯一の楽しみとしていたものである」(『青淵回顧録』より)
藍葉の鑑定や藍玉に品質向上に一生懸命に頑張る父市郎右衛門の様子がよくわかります。こうした向上心がありましたので、江戸の紺屋にまでも藍玉の売り込みをしたのでしょう。ただし、実際に、江戸の紺屋に売り込みをしたかどうかは不明です。

