清風亭(せいふうてい)(渋沢栄一ゆかりの地20)
以前、渋沢栄一ゆかりの地で誠之堂をご案内しましたが、誠之堂の隣に「清風亭」」があります。
下写真が清風亭外観です。屋根は、スペイン風の瓦葺き屋根となっていますが、当時流行っていた「南欧田園趣味」を採りいれたもの、外壁は「人造石掻落し仕上」と呼ばれる白壁に、黒いスクラッチタイルと黒褐色の煉瓦によってアクセントがつけられています。

清風亭は大正15年に第一銀行2代目頭取、佐々木勇之助の古希を記念して、現在の東京都世田谷区瀬田に在った第一銀行の保養施設「清和園」内に建てられたものです。建築面積は168.48㎡、鉄筋コンクリート造平屋建です。
清風亭も、誠之堂と同じように、平成9年に取り壊される予定であったものを急遽深谷市が譲渡を申し入れて平成11年に移築されたもので、現在、埼玉県の有形文化財に指定されています。
設計は、清水組に入ったあと、第一銀行建築課長となって銀行建築に活躍した西村好時が担当し、施工は清水組(現:清水建設株式会社)が行いました。
下写真は大広間ですが、建物の中には、大広間だけが設けられていて、大広間の天井は漆喰で壁は砂壁となっています。中央には暖炉が作られています。

佐々木勇之介について、渋沢栄一は、「私が明治6年第一銀行を開業した際に銀行の方へ特に入れたのでは無いが、政府の為替金を取扱ふ御用方へ算筆の掛として入って居られた人である。当時、第一銀行には4.50名の行員があり中には学校関係の出身者もあつたが、佐々木勇之助氏はその間に立ち交ってすこぶる敏捷(びんしょう)に立ち働くのみならず、またはなはだ謹直であって、成績が学校関係の人々よりもはるかに良好であったものだから、私は数の多い行員中より、特に佐々木氏に眼をつけたのである。」と語っています。
そして、「仕事も敏捷なる上に謹直の性質であつた」ため、第一銀行の帳簿課長に抜擢され、そこで実績をあげて支配人となり、明治29年には、取締役兼総支配人に選任されました。
渋沢栄一は、第一銀行の業務以外に多忙を極めたため、第一銀行の経営は実質的に総支配人の佐々木勇之介が行っていました。
そして、大正5年に栄一が退任した際に、栄一の後任として第一銀行第2代頭取に就任し昭和6年まで在任し、昭和18年享年89歳で亡くなりました。
下写真は清風亭のベランダです。


