栄一の結婚(「青天を衝け」37)
「青天を衝け」第8回は、栄一と千代がとうとう結婚しました。栄一さん・千代さんおめでとうございます!
栄一と千代が結婚したのは、安政5年12月です。栄一と尾高惇忠が信州に旅行したのが安政5年10月ですので、信州旅行から帰ってまもなくのことです。
「青天を衝け」では、前々から、それぞれに想いを寄せていることがわかるシーンが度々ありましたので、まさに念願がかなってのゴールインですね。
「青天を衝け」での展開は、栄一と喜作の友情も描き出してあり、見事な描き方だと思います。
しかし、栄一と千代がお互いにかなり強い恋心をいだいていたというのは、「青天を衝け」で創作されたものだと思います。
栄一自身は、千代との結婚について特にコメントしていませんので、二人の結婚については、いろいろな本がそれぞれの解釈で描いています。
親が決めたものという考え、さらに親が決めたものだけれど二人の間に恋愛感情があったという考えに大きく分かれます。
今日は、いくつかを紹介してみます。
まず、親の思惑だと解釈しているものを紹介します。
城山三郎の名作「雄気堂々」には次のように書かれています。

花婿栄一は、十九歳、千代も十八歳。お互いに顔色を案じ合う歳ではない。
だが、そこまで考えて、千代には、ふっと、ひっかかるものがあった。
栄一は、家業である藍の商売や農業を手伝いながらも、新五郎などに師事して、まだ勉強中の身。いつかは江戸に遊学したいという希望を持っている。いわば、学生の身分である。
千代も勉強好きであった。男たちと同じように読書を教えてと、兄の新五郎にせがんだこともあった。
二人はいとこ同士であり、幼な馴染でもあった。お互いに相手がきらいではなかったが、といって、はげしく愛し合って、学生結婚に至ったというのではなかった。
この結婚には、思惑があった。それも、当人たちより、まわりの思惑があった。思惑があって、早く進められた結婚であった。
市郎右衛門には、栄一はたったひとりの男の子である。利発で働き者の息 子だが、ひとつ心配なのは、栄一の関心が外に向き過ぎることであった。藍や田の作物だけを見ていてくれればいいのに、若い者同士集まって、政治の話をする。水戸や江戸から志士が来たからといって、話を聞きに行く。政道の批判をする。
そうしたことにだんだん熱が入って、家をおろそかにしてしまう不安があった。一人息子であるだけに、何とか栄一の眼を内に向け、家につなぎとめておきたい。それには、早く嫁を持たせておこうとの思惑あってのことであった。(新潮文庫「雄気堂々(上)」p17~18より)
また、幸田露伴が書いた「渋沢栄一伝」の中で、幸田露伴は、二人の結婚は渋沢家と尾高家での間で決められたものだと考えています。
新五郎・栄一の二人が藍香・青淵と詩人めいた号を以て『巡信記詩』を作っていたその不在の頃から歟(か)、渋沢家・尾高家では婚儀の相談が起っていた。無論当人同士に不服の気ぶりは無かったろうが、当時の事だから尊族合意で成立ったものだろう。十月末に二人が帰る、十二月初には栄一の妻として、尾高勝五郎の三女の千代は迎えられた。勝五郎の妻やえは栄一の父の姉であったから、当人同士は従妹従兄同士であった。栄一は数え年で十九歳、千代は十八歳、今日から見れば人はその早婚に過ぐるを以てあるいはこれを異とするものも有ろうが、その頃の習俗からは相当の生活をしている家の者の早婚は何の不思議も無いことで、かつまた従兄妹同士の結婚の如きも一般に好い事としていたのであり、縁家の間の嫁取婿取は重縁と云って歓んだものであるから、何等の異議を容るべきところは無いのであった。(岩波文庫「渋沢栄一伝」p30)
一方、栄一と千代との間には多少とはいえ恋愛感情があったと考えているものもあります。
栄一の四男渋沢秀雄は、「父渋沢栄一」で、次のように書いています。
市郎右衛門は栄一にたびたび注意した。そして安政五年(一八五八) の暮れに嫁を持たせた。
花嫁は尾高勝五郎の三女千代で、その母は市郎右衛門の姉に当る。だからいとこ同士の結婚だった。数え年十九の新郎に十八の新婦である。昔は都会も田舎も婚期は早かったが、それにしても市郎右衛門の頭に、嫁を持たせて子でも出来たら、栄一も落ちつくだろう、という親心はあったものと想像される。
千代の里は家計が苦しいくせにミエを張る家、婚家は豊かな割に諸事質素で几帳面な家風。若妻には相当気苦労も多かった。しかも栄一は家庭的な夫ではない。第一、その時代には、まだ家庭という言葉も観念もなかった。しかし、いくら昔風の結婚だったにしても、栄一と千代の場合は、親の命令で見ず知らずの男女がいっしょになったのとは違う。二人は幼馴染だった上に、千代の兄新五郎と長七郎は、栄一の師であり先輩であり親友でもあった。二人の男女は互いによく気心を知り合っていたはずである。そして双方の親も兄も、当人たちの好悪や意向を縁談の前提としたに違いない。さらに想像を逞しくすれば、二人の間に恋愛感情が生れていたかもしれない。(「父渋沢栄一」実業之日本社刊p42より)
また、「たおやかな農婦 渋沢栄一の妻」(船戸鏡聖著)には次のように書いてあります。
新五郎が藍香、栄一が青淵という詩人めいた号を使って詩を作り、しかし、その一方で、商売の仕事にも熱心に取り組んでいる間に、郷里では、 栄一と千代との結婚の話が持ち上がっていた。
中んちの市郎右衛門は、男の子二人を夭死させたあとに、やっと得た大事な跡取り息子が 百姓としての渋沢家から飛び立ってしまうのではないかと恐れていた。
書を読み、詩文を作り、剣術に打ち込んで、しかもこの頃では、 新五郎の水戸学に影響されて志士にでもなりそうな気配だ。
そこで、 嫁をもらって、子供が生まれたら、栄一も落ち着くだろうと、 市郎右衛門は考えたのだ。
千代の母やヘは、市郎右衛門の姉だから、栄一と千代とは従兄妺同士である。 当時は、縁のある家の間の婚姻は、重縁といって歓迎されたものだったので、その点は問題なかった。
年齢は、数え年で、栄一十九歳、千代十八歳。 若すぎるようだが、当時としては、ありふれたことだった。
千代には、 母のやヘが気持を打診した。 千代は首を縦に振った。
(親の決めたことだから・・・・)
と思う一方で、
(栄一さんの嫁になれてよかった)
とも思った。
自分の胸の奥を覗き込むと、そうなることを願う気持がしまってあったように思った。
新五郎と栄一は、信州の旅から、 十月末に帰って来た。
早速、市郎右衛門とえいが、栄一の意向を訊く。
「いいですよ」
栄一にも否やはなかった。尾高の姉妺のうちでも千代を好もしく思っていた。
(「たおやかな農婦 渋沢栄一の妻」東京経済刊 p44~46より)
このように、親が決めたものであったにしても、栄一と千代との間には恋愛感情があったと考える人もいます。
とすれば、「青天を衝け」での展開は創作だと思うものの、あのような展開があながち的外れでもなさそうだとも思います。
喜作の潔い対処や、その喜作がよしと結ばれるストーリーなども創作だと思ってもつい納得してまい、うまく考えられたストーリーだと思います。今後の展開がますます楽しみです。

