横浜焼き討ち計画の謀議(「青天を衝け」55)
「青天を衝け」第11回では、「横浜焼き討ち計画」を中心に話が展開しました。そこで今日は「横浜焼き討ち計画」について書いていきます。
その前に、坂下門外の変で安藤信正を襲撃した河野顕三が非常クローズアップされて描かれていましたが、それには理由があるようです。そこで、長七郎と河野顕三との関係について書いておきます。「ふるさとの渋沢栄一」(新井慎一著)によれば、河野顕三と長七郎とは大橋訥庵の同門で無二の親友でした。坂下門外の変の翌年、長七郎は、下野国河内郡吉田村(現在の栃木県下野市)の顕三の生家を訪ねていて、さらに、顕三の残した草稿を持ち帰って、栄一と一緒に『舂雲楼遺稿』と題して出版しました。これには栄一が河野顕三の小伝を書き、その一節に河野顕三を描写して「長身にして秀貌、眉目は高潔、容姿は閑雅、あたかも書生の如し」と書いてあるそうです。
長七郎と河野顕三とは、このように特別な関係があったため、「青天を衝け」でも、河野顕三がクローズアップされて描かれていたのではないかと思います。
さて、横浜焼き討ち計画は、栄一の生涯の中で重要なエポックですので、当然のことながら「雨夜譚(がたり)」の中で栄一自身が語っています。
「雨夜譚(がたり)」の「暴挙の企図」の項目で、なぜ暴挙を企画したかという狙いが語られた後で次のように書いてあります。
「何でも幕府の保ち得られぬというような一大異変を起すには、どうしたらよかろうかという事を、いろいろ考えて相談をした、それも多勢の相談ではない、尾高惇忠・渋沢喜作の両人と自分と、都合三人で密議を凝らしたのであったが、ついに一案を立てました。その密議の一案というのは、すなわち一挙に横浜を焼き撃ちして、外国人と見たら、片っ端から斬殺してしまうという戦略であった。しかし横浜襲撃の前に、まず高崎の城を乗取って、兵備を整えた上で、高崎から兵を繰り出して、鎌倉街道を通って横浜へ出れば、通行も容易である。江戸を経過する時は、いかに懦弱(だじゃく)だといっても、諸大名などもいて、あれこれ面倒であるから、鎌倉街道によるという軍法で、随分乱暴千万な話しに相違ないが、これがもし果してその時に実行したことなら、自分らの首は、23.4年前に飛んでしまったであろう。しかしその時は、ごく真面目で、いわゆる満腔(まんこう)の精神を籠(こ)めて諸事を謀議しました。」
「青天を衝け」で描かれていたように、栄一は尾高惇忠を中心にして横浜を焼き討ちし外国人を襲撃しようとし、そのために高崎城を乗っ取ろうという計画を考えました。
ところで、「青天を衝け」では、渋沢喜作が八犬伝に書かれている手法で高崎城を乗っ取るとしていましたが、「雨夜譚(がたり)」や「青淵回顧録」の中には、高崎城乗っ取り方法については特に書かれていません。しかし、大佛次郎の書いた小説「激流」の中に「里見八犬伝の一部を思い出した。・・・『あれを真似してもよい。』 ほん気に、こう考えた」と書いてあり、八犬伝を真似しようとしたと書いています。
横浜焼き討ち計画に参加する同志を募るため、尾高惇忠が書いた「神託」も作られました。(下写真)なお、神託に書かれている内容は最後尾に載せておきました。

「雨夜譚(がたり)」の中で、栄一は、続いて横浜焼き討ち計画を実行するための行動について次のように語っています。
「いわばこの手筈はかくすべし、彼の方法はかようにありたし、また兵器とても、鉄砲は用意し得られぬから、槍と刀とを用いることにしよう。その他の用具に至るまで、春以来秘密に買調えたが、つまり万一を僥倖(ぎょうこう)する仕事だから、どうせ甘くは出来まいが、出来ぬ所が、一死以て止むという決心で、刀などもここで買いあそこで買いして、尾高が5、60腰、自分が4、50腰、そのほか着込みといって、鍛(きた)え皮を鎖で亀甲形に編み付けた、剣術の稽古着のようなものから、提灯、その他必用の物の具までも、相応に用意して買集めた。その金は、藍の商売をした勘定の中から、父に隠して支払ったが、凡そ百五六十両位であったと思います。」
こうした行動計画に沿って、栄一は「青天を衝け」で描かれていたように、江戸に出て武具を購入します。
その武具の購入を依頼したのは、柳原の梅田という武具商でした。この梅田について、栄一が語っている内容が「竜門雑誌第314号」に載っています。
「私が調達の任に当って密々に江戸へ下った。藍の買入の為とて父から預かつた三百両ばかりを懐にして。(中略)江戸へ近づくほど幕吏の警めも厳しいので、王子辺からは旅商人に姿を変へともかくもやっとの事で草鞋の紐を解いたのは、神田柳原町の武具問屋梅田慎之助方であった。この梅田慎之助という男は、さすがに武具を商う位あって、侠気のある確乎(かっこ)した男で、好んで我等の攘夷論に耳を傾ける位の見識も具え、日頃から天野屋利兵衛を気取る男であった、以前から撃剣道具の取引をした縁故もあり、喜んで我等を待遇してくれたもので遊学の折などはときたま泊った事もある程の仲であるから、この男をと見込んでさてこそ今度の武具調達を頼むつもりであったのである。自分が突然平日とはうってかわった商人姿で行ったのを見て、慎之助はさも驚いた風であったがそこは苦労人であるから早くも大体の趣意を察したらしく、五七人の職人がまだ寝ずに店先に騒(ぞ)めいていたのを裏の方へ去らせ、自分で濯(すす)ぎの水を運んでくれたりして早速土蔵の二階へ案内してくれた。そこで件(くだん)の刀槍買入の事と、剣術に用う稽古着の注文を持ち出すと、慎之助は眤と私の顔を見ていたが、やがて『旦那、それは一体どうなさるお意で』と言ひ終るをもまたず『それは今は言はれぬ、お前を男と見込での頼みだ、どうか諾と言って貰いたい』と言うと『ようがす、俺も一度は旦那方の御用に立ちたいと思うていました、長い事は申しません御窮屈でも十日の間この土蔵に匿(かく)れておいでなさい』と小気味よく承知してくれた。」
「青天を衝け」では、栄一と喜作は梅田慎之介のお店で初めてのお客のように設定されていましたが、実際は、もう既に顔見知りであったようです。
また、「青天を衝け」で栄一が藍玉の販売代金の一部を懐に入れる場面がありましたが、このお金で武具を購入したことも栄一自身が語っています。(上記の赤字部分です。)
【参考】神託の内容
神託
一近日高天ケ原より神兵天降り
皇天子十年来憂慮し給ふ横浜箱館
長崎三ケ所ニ住居致ス外夷の畜生共を不残
踏殺し天下追々彼の欺に落入石瓦同様の
泥銀にて日用衣食の物を買とられ自然困窮
の至りニて畜生の手下に可相成苦難を御救
被成候間神国の大恩相弁ひ異人ハ全狐狸
同様と心得征伐の御供可致もの也
天地再興文久三年癸亥冬十一月吉辰
神使等(印)謹布告

