栄一、一橋家仕官の誘いを受ける(「青天を衝け」64)
「青天を衝け」第12回で、初めて栄一が平岡円四郎と会った際に、平岡円四郎が一橋家に仕官しないかといきなり勧められていました。
「雨夜譚(がたり)」に「平岡の言うには、足下等は農民の家に生れたということであるが、段々説を聞いて談じ合ってみると、いたっておもしろい心掛で、実に国家のために力を尽すといふ精神が見えるが、残念なことには身分が農民では仕方がない、幸に一橋家には仕官の途もあろうと思うし、また拙者も心配してやろうから、直(すぐ)に仕官しては如何(どう)だという勧めがあったことがある。」と書いてあるので、平岡円四郎に栄一が仕官を勧められたことは史実です。
それでは、平岡円四郎が、会って間もない栄一(「青天を衝け」では初めて会ったことになっていますが)になぜいきなり仕官を勧めたのか、今日はその背景について考えてみます。
実は、栄一と喜作に対する一橋家への仕官の話は、川村恵(え)十郎が平岡円四郎はじめ一橋家要人に働きかけていた結果と思われます。そうしたことがわかるのが川村恵十郎の日記です。
川村恵十郎の日記には、随所に、栄一を平岡円四郎や藩の要人に推挙していることが書かれています。
9月18日に、栄一・喜作が川村恵十郎の宿舎である上野浄林院に訪れて四つ半頃(現在の午前11時頃)まで話し込んでいますが、その夜、川村恵十郎は平岡円四郎を訪れて、時勢について話し合った後、栄一・喜作のことを話していて、平岡がことのほか感激したと書いてあります。
2日後の20日には、また平岡円四郎を訪れて、夜までかかって栄一たちを召抱える件について談判をしています。翌21日は物頭助の松浦作十郎方を訪れて、ここでも二人の召し抱えについて交渉をしています。
こうした段取りをした後で、23日に、平岡円四郎と栄一たちが松浦作十郎の屋敷で会っていますが、その面会の直前には 川村恵十郎は、平岡円四郎、目付榎本亨造、側用人猪飼勝三郎、松浦作十郎等の重立った人々と相談をしています。ここで、栄一と喜作の採用が合意されたのではないでしょうか。さらに2日後の26日には、また平岡円四郎を訪れています。川村恵十郎に平岡円四郎は、一両日中に岡部藩の安部家へ栄一たちの召し抱えについて交渉をすると答えています。
このように川村恵十郎の日記を見ると、「雨夜譚(がたり)」や「青淵回顧録」には書かれていない一橋家の事情がよくわかります。
一橋家では、平岡円四郎が陸軍取立掛に任じられ、有意の人物を取り立てようとしていました。そうして取り立てられた一人が川村恵十郎です。その川村恵十郎によって「真の攘夷家」と評価された栄一と喜作を召し抱えることが、川村恵十郎の尽力により一橋家の要人の間で決定され、その上で、平岡円四郎が、栄一と喜作に仕える気はないかと勧めたように思います。そうした一橋家の意向を栄一たちは断りました。しかし、やがて一橋家に仕官するようになりますが、その話はいずれ改めてお話します。
渋沢栄一を主人公とした小説に大佛次郎の「激流」があります。この小説では、江戸で栄一は平岡円四郎に2回面会したこととなっていて、その面会の様子が詳しく描かれています。下画像は、初めて平岡円四郎を訪ねた場面の挿絵です。

「激流」の中には、川村恵十郎はまったくでてくることはなく、いきなり根岸の平岡円四郎の屋敷を喜作とともに訪ねて面会をしています。そして、血洗島に戻り、高崎城乗っ取り計画の段取りをした後、再び江戸に出た際に平岡円四郎と会い、その席では、「京都にこないかね」と勧められるというストーリーとなっています。

