栄一と父市郎右衛門(「青天を衝け」65)
「青天を衝け」第12回の中盤で、栄一は市郎右衛門に160両の着服したことを正直に話し、市郎右衛門がそれを許したうえ、さらに百両を餞別として渡すシーンがありました。しみじみとした感動的なシーンだと私は思いました。
既に、百両の餞別を父からもらったことが「雨夜譚(がたり)」に書いてあると「渋沢家の財力(「青天を衝け」58)」で書きました。(下記をクリックするとご覧になれます。)
このことは、「雨夜譚(がたり)」だけでなく「青淵回顧録」にも書いてあります。
「討幕の計画を中止したのであるから、さまで秘(ひ)し隱(か)くす必要もないので、露骨には申さぬが大体の事(こと)わけを父にお話して別れを告げ、なお藍の取立金のうち二百両余りを遣(つか)い込んである事も正直に告白した。父は『既にやってしまった物は今更仕方がない。どうせお前がこの家を継ぐとすれば、全部お前の財産になるのであるから、それについては別に文句は言わぬ。なおここに百両あるが、これをお前に餞別にやる。正しい事のために使うなら、このうえとても私の身に叶う事ならどうとかしようから、今後は自重して身を誤るような事をしてくれるな』と」言ったと語っています。
また、「青天を衝け」で市郎右衛門が語っていた「あぁ、俺はこの年まで、孝行は親がするものだとばかり思っていた。親が子にするものだったとはなぁ」という言葉も史実に基づくものです。
栄一は、「雨夜譚会談話筆記」の中で、「世間では親孝行というと子がするものと思うけれども、私はそうでないと思う。親孝行は親が子にさせるので、子がするのじゃない。」と市郎右衛門が言ったと語っています。
市郎右衛門が餞別を渡す場面は、大変感動的です。それは、「青天を衝け」を見た私たちだけでなく、当事者である栄一自身の感動でもありました。栄一自身が「青淵回顧録」で前述の部分に続いて、次のように語っています。
「さすがは父子の情愛で以前私の一身の自由を許された時とはうってかわって、頗(すこぶ)る温情の籠(こも)ったお言葉があった。不孝の子に対してもこれだけの愛情を注がれるかど思えば、私もまた心中涙なきを得なかった。」
このエピソードが書かれている「青淵回顧録」のタイトルは「親の情けに涙にむせぶ」です。まさにタイトル通りです。
それにしても、栄一の行為を一切咎めないうえに、今後のことを心配して百両もの大金をすぐに渡ししてくれる市郎右衛門がすごいと正直思います。
幸田露伴も「渋沢栄一伝」の中で次のように感想を述べています。「此処で当時では大金の百両を出し呉れた市郎右衛門の大腹中は感ずべきであり、 またさように扱われるだけの地を作っていた栄一の平生もまた感すべきであった。」(岩波文庫「渋沢栄一伝」p62)
「近代日本資本主義の父渋沢栄一」を作りだした一人は栄一の父市郎右衛門だといっても過言ではないと私は思います。

