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小栗上野介、罪なくして斬らる(「青天を衝け」135)

小栗上野介、罪なくして斬らる(「青天を衝け」135

 「青天を衝け」で、小栗上野介が斬首される場面がありました。「最期に言い残すことはないか」と問われて、口を開けて舌の上のネジを見せるところは脚色だとしても、新政府軍により斬首されたことは事実です。

「青天を衝け」では、鳥羽・伏見の戦いで敗北した慶喜が江戸に戻ってきた際に、浜御殿に出迎えた小栗上野介が詰問しようとしてそれを制止されるという場面がありました。小栗上野介が出迎えていたかは不明ですが、慶喜の江戸城帰還後早々に行なわれた112日の評定で、小栗は徹底抗戦を主張しました。

その内容は、「新政府軍が箱根の関内に入ったところを陸軍で迎撃、同時に榎本武揚率いる幕府艦隊を駿河湾に突入させて後続部隊を艦砲射撃で足止めし、分断。箱根の敵軍を孤立させて殲滅する」というものでした。実際、この話を後に聞いた新政府軍の指揮官大村益次郎は、「もし、その策が実行されていたら、大変だった」と語ったといいます。

しかし、慶喜は、恭順を決めていたため、小栗上野介の徹底抗戦論を取り入れることはありませんでした。慶喜が評定の場を立ち去ろうとした際に、小栗上野介は慶喜の袴の裾をつかみ、「上様、お待ちくだされ。ご決断を」と訴えると、「無礼者」と慶喜は小栗の手を払い、奥へ消えたといいます。

恭順を決めていた慶喜の意向に反する主戦派の小栗上野介は、115日、老中酒井雅樂守から兼職していた勘定奉行と陸軍奉行の罷免を言い渡されました。

罷免された小栗上野介は、幕府に128日「上州権田村への土着願書」を提出し翌日許されました。

こうして、小栗上野介は、上州権田村への移住の準備を行い、228日に江戸を出発し、31日に上州権田村の東禅寺に到着しました。下写真は東禅寺本堂です。

小栗上野介、罪なくして斬らる(「青天を衝け」135)_c0187004_19403637.jpg

 しかし、小栗上野介が権田村に到着早々、権田村周辺は不穏な状況となります。到着翌日の32日に、博徒らがたきつけて近在の村の者1000人近くを集め、小栗上野介が莫大な財産を所持していると勘違いされ、それを奪おうと襲撃してきたのです。小栗上野介は、村の若者たちの応援を得たうえで、フランス式調練を受けさせていた家臣らに鉄砲で先制攻撃をさせ、暴徒を撃退しました。

その後、小栗上野介は自分たちが暮らす屋敷を権田村内の観音山に建て始め、ました。下写真は、観音山の小栗邸跡に建つ高崎市の説明板です。

小栗上野介、罪なくして斬らる(「青天を衝け」135)_c0187004_19403624.jpg


しかし屋敷の完成も間近な422日、高崎、安中、吉井三藩へ小栗上野介追討令が出されました。そして、新政府軍の追討令を受けて、閏41日、突如、高崎、安中、吉井三藩の使者が小栗上野介を訪れました。

 追討令には、東山道総督府の名で、三藩の藩主に、小栗上野介が陣屋や砲台を築いて容易ならぬ企てを抱いているので、その追捕、手に余る場合は討ち取るべしという命令が記されていました。

小栗上野介は使者に身の潔白を訴え、養子の又一を使者に同道させ高崎に出頭させました。

 三藩の使者は、高崎に戻り、小栗上野介は、反逆の意思はないと復命しましたが、東山道鎮撫総督府の軍監原保太郎、豊永貫一郎は、小栗上野介がどんなに恭順しようとも追捕するという考えで、謝罪嘆願を許さず、原保太郎は権田村に入りました。

 小栗上野介は、会津に避難するため権田村を離れたものの、権田村の村民に迷惑がかかるとの訴えを聞いて、権田村東禅寺に戻りました。

5日、小栗上野介は東善寺を囲んだ東山道総督府指揮の三藩の兵に捕縛されました。

そして翌6日朝、小栗上野介は家臣3名と共に取調べもないまま水沼の烏川河原に引き出され、斬首されました。申し開きをする機会も与えらず、いきなり斬首されています。享年42歳でした。

最期にあたって、「何か言い残すことはないか?」と原保太郎が問いかけると「何事もない」と言ったのち、「すでに母と妻は逃がしてやったから、どうか婦女子には寛典を望む」といい、原は「相わかった」と答えたといいます。

 

この時、小栗上野介の3人の家臣も斬首され、高崎に出頭していた又一と家臣も処刑されました。

戊辰戦争の際に斬首された旧幕府の幹部はほとんどいません。唯一、小栗上野介と近藤勇の例があるだけだと言われています。近藤勇は、一応、板橋で尋問を受けた後斬首されています。まったく取り調べもなくいきなり斬首された小栗上野介はいかに異常なことであるかがわかります。

小栗上野介が斬首された理由は全く分かりませんし、誰が命じたのかもはっきりしていません。

小栗上野介が斬首された水沼河原には「偉人,小栗上野介罪なくして此処に斬らる」と刻まれた石碑が建てられています。(下写真)

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この石碑は、昭和4年、上野介の遺徳をしのび非業の最期を悼む村民が寄金を集め、この処刑地に顕彰慰霊碑を建てたものです。

碑の撰文揮毫をした京都大学法学部教授蜷川新です。蜷川の母は上野介夫人道子の妹はつ子でした。

この碑については碑文の「罪なくして斬らるる」について高崎警察署長からクレームがつきました。困った村長が蜷川新に連絡したところ「田中義一(元首相)に伝えるから…」という蜷川の返事があった後、署長の話は沙汰やみとなったそうです。

小栗上野介のお墓は、権田村(現在の高崎市倉渕町権田)にある東禅寺にあります。(下写真)

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 下地図中央が東禅寺です。








by wheatbaku | 2021-08-29 19:17 | 大河ドラマ「青天を衝け」

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