昭武、榎本軍討伐を命じられる(「青天を衝け」142)
「青天を衝け」は東京パラリンピックの関係で2回放映休止となっていましたが、明日から再開され、「明治偉人編」が始まります。いよいよ栄一が経済人として大活躍することになりますので、大いに期待しています
ところで、昨日(9月10日)のNHKの「あさイチ」には土方歳三役で出演している町田啓太が出演していました。その中の話で、土方歳三は、次回・次々回と登場するということのようです。そこで、箱館戦争での土方歳三の動向は、その際に書くことにします。
今日は、第25回で、栄一が昭武に拝謁した際に、昭武が「天子様に拝謁し、朝廷から水戸に戻りしだい箱館の榎本軍との戦いに兵を出せとの命を受けた」というシーンがありました。今日は、そこのシーンに関係することを書いていきます。

徳川昭武は、明治元年11月3日に、横浜港に戻りました。そして11月4日に、水戸藩の小石川邸に入りました。
そして、翌日には早速水戸家の家督を継ぐ手続きが行われました。水戸藩主となることが18日に勅許され、同時に先代慶篤の子鉄千代(のちの篤敬)を養子としました。勅許まもなくの11月23日に昭武は皇居に召され、明治天皇に拝謁しました。
この年9月8日、元号が明治と改元され、明治天皇は9月20日京都出発し、10月13日東京に到着し、江戸城が皇居となっていました。
『明治天皇紀』によれば、昭武を召した明治天皇は、昭武が見てきた外国の事情を聞かれたようです。それから、天盃を与え、これからしばしば参内して、実際に見聞したことを聞かせて欲しいと言われたそうです。
昭武は、明治天皇より一歳年下ですので、同じくらいの昭武に親しみを感じたのだろうと思います。
拝謁の翌11月24日、昭武に対して箱館の榎本軍を討つべき命令が下りました。
箱館の榎本軍が、五稜郭に入城したのが、10月26日で、松前を攻略したのが、11月5日で、蝦夷地平定の祝賀会を開催したのが12月15日ですので、まさに榎本軍の全盛期です。
これに対抗するために、明治新政府は、徳川家の力を利用することを考えました。しかし、徳川宗家を継いだ家達はまだ幼少です。そこで、昭武が命じられたという事情があるようです。
昭武が、水戸に下ったのは、12月11日です。そして、箱館への出陣のため、軍制改革を行っています。そして、明治2年1月15日に進発する旨明治新政府に届け出たものの、明治新政府は、昭武の出陣の中止を命じてきました。
こうして、昭武自身の出陣はなくなりました。ただし、200名程の水戸藩兵は、蝦夷地の雪が溶けた明治2年4月に江差に渡り、榎本軍との戦いに参加しました。
昭武と一緒にパリに渡り身の回りの世話をしてくれた高松凌雲や山内六三郎は榎本軍に身を投じていましたので、昭武自身が出陣すれば、彼らと直接敵味方として対峙することになりましたが、昭武の出陣なくなったため、そういう事態を避けることができたのは良かったことだろうと思います。

