松戸の戸定邸・戸定歴史館(渋沢栄一ゆかりの地27)
今週、松戸市にある徳川昭武の住いであった戸定(とじょう)と戸定歴史館に行ってきました。(下写真は庭園から写した戸定邸全景)
そこで、今日は、戸定邸と戸定歴史館をご案内します。

戸定邸は、明治17年4月に、約2年間の建築期間を経て完成しました。
徳川昭武は、パリに留学の途中、水戸藩主であった兄徳川慶篤が亡くなったため、急遽帰国し、明治元年に水戸藩主となりました。その際に、慶篤の子供篤敬が、昭武の養嗣子となっており、次の藩主も決まっていました。昭武が水戸藩主となったのは17歳の時ですが、数え30歳の明治16年に養嗣子である篤敬に家督を譲り、隠居しました。慶喜は数え年31歳で将軍を辞めているため、それを超えない30歳で隠居したそうです。(下写真は、戸定邸の玄関の間に飾ってあった徳川昭武の写真です。)

そして、隠居した翌年の明治17年に松戸の戸定に別邸として建てられた戸定邸が完成し、以後、明治明治43年に亡くなるまで、30歳から56歳までを戸定邸で暮らしました。
戸定邸は国の重要文化財、戸定邸庭園が国指定名勝となっています。下写真は表玄関です。


表玄関から、表座敷まではほぼ一直線に玄関の間、内蔵、表座敷とならんでいます。
玄関の間の右手に受付があります。奥に向かうと表座敷となります。

表座敷の客間を廊下側から写しています。

表座敷の調度には、葵の紋がデザインされていました。やはり徳川家ですね。
欄間

照明の傘


釘隠し

襖の取手

表座敷の先には、庭園が広がっています。

玄関脇には使者の間もありました。使者の間は、ここで昭武を訪ねた人の御供の人が用件を伝えたり、用事が済むのを待っていた部屋です。

表座敷の客間の裏側は昭武の居間となっています。江戸時代の大名の屋敷では、大名の居間は、表座敷とは別の建物でしたが、戸定邸では、居間が表座敷にあります。手前が昭武の書斎でした。

戸定邸には、以上の表座敷のほかに、中座敷、奥座敷、離れ座敷、湯殿棟、台所棟がありますので、それらも順に紹介しておきます。
下写真は奥座敷ですが、奥座敷は、昭武の寝所として使われたようです。



台所棟は戸定邸で唯一の二階建ての建物で、使用人たち用に利用されていた建物だそうです。

【戸定歴史館】
戸定歴史館は、戸定邸に隣接した博物館です。

現在は、昭武の生涯を展示した特別展の第2期にあたる「幕府再興とパリ万博―1867・運命の転換点」が10月31日まで開催されています。下写真は、上の玄関の左手の垂れ幕をアップしたもので、現在の展示会を宣伝しています。

今回の特別展は、「青天を衝け」で描かれていた昭武の姿にオーバーラップして見られるので、「青天を衝け」を見ていた人には理解しやすい展示だと思います。
今回の戸定邸訪問は、この特別展を見ることも目的の一つでした。
パリにおける昭武の活動がよくわかる展示でしたが、ここだけでしか見ることができず一見の価値があると私が思った展示品は次の各品です。ただし、展示品は、撮影禁止で、写真は撮れませんでしたので、リストだけ書いておきます。
①幻の徳川葵勲章
②三葉葵紋陣羽織
③葵紋と昭武の肖像入り懐中時計
④昭武の「フランス革命史」筆写ノート
⑤慶喜の直筆の手紙
【栄泉堂岡松】
戸定邸玄関の間に、皇后陛下(現在の上皇后陛下)が行啓されたとの展示がされていました。
上皇后は、平成15年3月31日に戸定歴史館で開催された「現代かな書の最高峰 藤岡保子展」を鑑賞されるために行啓されました。藤岡保子は、皇太子妃時代の上皇后に書の手ほどきをしていたため、その縁によるものだそうです。なお、藤岡保子は、徳川昭武の姪です。(下写真)

この上皇后の行啓の際に、和菓子を献上した和菓子屋さんが、現在も営業していると聞いて、お店を訪ねました。戸定邸からは約10分ほど歩いた旧水戸街道沿いにある大正3年創業の「栄泉堂 岡松」がそのお店です。

上皇后に献上したお菓子は、「ぼたん」となづけられた練り切りだそうです。
「ぼたん」というので、春だけの季節商品かと思いましたが、年中販売しているそうです。そこで、お土産として買ってきて自宅で食べました。丁寧な作りで味も上品でした。

栄泉堂岡松は下地図の赤印の場所です。

