栄一、「バンク」の訳語を「銀行」と定める(「青天を衝け」170)
「青天を衝け」第31回で、「ナショナルバンク」をどのような日本語とするか栄一と大隈重信・井上馨の3人で議論し、「ナショナル」を「国立」と訳し、「バンク」を「銀行」と訳し、その結果、「国立銀行」と訳することに決まる場面がありました。そこで、今日は、「ナショナルバンク」の日本語訳について書いてみます。
まず、「ナショナルバンク」についてですが、「ナショナルバンク」を「国立銀行」と訳したため、「国立銀行」は国立の銀行すなわち国が管理運営する銀行だと考える人が多いと思います。しかし、「国立銀行」はあくまでも純粋な民間銀行です。
高校教科書である「山川出版社『詳説日本史』」が手元にありますが、それには、「『国立』とは国法に基づいて設立されると言う意味で国営ではない」と書かれています。
さて、「バンク」は現在、銀行と訳されていますが、「バンク」を「銀行」と訳したのは、栄一であるという説が有力説です。そこで、いくつか紹介します。
⑴元東京大学名誉教授土屋喬雄氏は、人物叢書「渋沢栄一」(吉川弘文館刊)p156で次のように述べています。
「現在用いられている『銀行』なる名称はナショナル・バンクを訳して渋沢が国立銀行としたことによりはじめて普及した。」
⑵フランス文学者・元明治大学教授文鹿島茂氏は、文春文庫「渋沢栄一 上 算盤篇」p424で次のように説明しています。
「このとき(国立銀行条例が布告された時)、渋沢がそれまでバンクとされていた言葉の訳語を「銀行」と定めた。当時、名のある学者のところへ相談に出掛け、「金行」「銀舗」とかの候補もあがったが、結局、「銀行」に落ち着いた。」
⑶大阪大学名誉教授宮本又郎は「渋沢栄一 日本の近代の扉を開いた財界リーダー」(PHP研究所刊)p52に次のように書いています。
「伊藤(博文)が米国より送ってきた建議書 (明治3年12月29日付)添付の 「米国紙幣条例」 (「全国通貨法」1864年版)を基本に、欧米の法律や銀行関係書籍なども参考にして条例の編成にあたった。「米国紙幣条例」の翻訳には福地源一郎があたり、栄一は福地とともに、それを日本の実情に適応するように修正した。栄一は起草担当者として、モデルとなった米国の 「ナショナル・バンク」を「国立銀行」と日本語訳することを決定し、1872年5月末に草案が成案した。」
これらの人たちは、それぞれの分野での著名な学者・研究者ですので、銀行という言葉に翻訳したのは渋沢栄一であるというのが、かなり有力だと思います。
その一方で、日本銀行のホームページには、高名な学者達が協議して銀行という名前にしたと書いてあります。(詳しくは日本銀行のホームページ「教えて!にちぎん『 日本銀行や金融についての歴史・豆知識』」をご覧ください。)
そこで、高名な学者達とは具体的には誰なのか日本銀行に問い合わせたところ、具体的な名前は不明とのことでした。この回答を聞く限りでは、高名な学者が決めたという説はしっかりした根拠があるものではないと私は感じました。
ところで、渋沢史料館発行の「渋沢栄一と銀行業」という本の中の「『バンク』を『齦行』と訳したのは渋沢栄一か?」というタイトルのコラムに次のように書かれています。
「栄一は、明治28年( 1895 )の演説で『銀行条例』編纂にあたって、ナショナル・バンクの翻訳の際、『彼の学者、此の先生と種々相談の上』、『ナショナル』を『国立』に、『バンク』を『銀行』と訳したと語っています。こうした発言のためか、『バンク』を『銀行』に訳したのは栄一だったという説が戦前から一般に流布しました。『国立銀行条例』制定以前、政府内部では、『バンク』『紙幣会社』という用語を使用していることが多くみられます。しかし、すでに明治3年2 月、大蔵省ではオリエンタル・バンクを『東洋銀行』と記した約定書が作成されるなど、『銀行』の用語は使われています。栄一の演説をよくみると自分がはじめて『バンク』を『銀行』と訳したとは言ってはいません。栄一は条例を編纂する際に、ナショナル・バンクを『国立銀行』と訳すことを、実務の責任者として決定したと考えられています(『第一銀行史』)。ただ栄一が『国立銀行』と訳して条例が布告されて以降、『銀行』の語が一般に普及していったと考えられます。」
この中で「栄一の演説をよくみると自分がはじめて『バンク』を『銀行』と訳したとは言ってはいません。」と書いてありますが、「世外公維新財政談」p324の中で次のように語っています。
「このバンクという字は言葉がおかしいから、何という名にしゃうかと、福地や私共が評議して、ついに大蔵省で銀行という名にした。それは則ち井上さんが銀行という名でよろしいと、判断を与えて下すった。あれは大蔵省で付けた名なんです。」確かに、栄一が訳したとは言っていませんね。
これらを考えると、栄一が「バンク」を「銀行」と翻訳したという説が有力ですので、栄一が「バンク」を「銀行」と訳したと言ってもよいと思いますが、それを踏まえたうえで、渋沢史料館の見解を参考にすると、栄一が「バンク」の訳語を「銀行」と定めたということなのではないかと思います。

