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尾高惇忠、富岡製糸場を建てる(「青天を衝け」171)

尾高惇忠、富岡製糸場を建てる(「青天を衝け」171

 「青天を衝け」第31回では、富岡製糸場の開設が描かれていました。

 栄一は、この富岡製糸場の担当者でしたが、実際に建設に尽力したのは尾高惇忠でした。そこで、今日は、富岡製糸場設立までの尾高惇忠の活躍を書いていきます。下写真が富岡製糸場です。ただし、数年前に訪ねた際のものです。
 

尾高惇忠、富岡製糸場を建てる(「青天を衝け」171)_c0187004_18055642.jpg

開国後の日本の主要な輸出品は、生糸でした。当時、ヨーロッパにおいて微粒子病という蚕の伝染病が蔓延し、フランスをはじめとする主要養蚕国が大打撃をうけたため、日本から生糸が大量に輸出されました。

 しかし、過大な需要は粗製濫造を招き、悪質な業者も横行し、外国の評判が悪くなりました。そこで、明治政府は、生糸の品質向上を図るため洋式器械製糸の導入することとなりました。その担当に栄一が指名されました。その経緯について、「雨夜譚会談話筆記」の中で次のように語っています。

「横浜の生糸輸出商にガイセンハイメルというのがある、一般にオランダ八番といったが、それが専ら日本の生糸を買って輸出して居た。其店主であったか、支配人であったか、日本生糸の製造が粗末な事を指摘し、日本製糸は横糸には使えるが縦糸には使えぬ、糸の太さが揃はず、斑があり、繋ぎがよくない、それは何れも製糸の方法が悪いからだといい、立派な工場をつくらなければならない、そして欧洲の有様はこうこうだと色々説明したので、日本でもその方法を採用せねばなるまいということであった。ある日、大隈重信氏が大蔵省で、例の通り喋って製糸のことを述べていたから聞いていると、随分間違ったことをいって、殆んど養蚕や製糸の実際を知らぬ模様であったから、私は実際やって来たことだけに大いにそれを説明したので、私が養蚕通であると評判を取り、オランダ人の勧めに従って製糸改良のため工場を富岡に建て、前橋の人で速水某をして実地に当らせ、私が此改良係を引受けた様な訳である、従って大蔵省の高等官中で養蚕のことを知るのは渋沢だということになって居た。」

 

 明治32月、栄一と伊藤博文は、官営機械製糸場の担当を命じられました。そこで、栄一と伊藤博文は、築地に住んでいたフランス人デュ・ブスケに相談をし、デュ・ブスケとともに横浜に住んでいたフランス商人のカイゼナイモ氏を訪ねて協議した結果、生糸に詳しいフランス人のブリューナを紹介され、明治36月にブリューナと仮契約を行いました。仮契約後、ブリューナは、東京附近の養蚕地方で製糸に適した土地を探して、養蚕の本場と言われる上州の高崎・前橋や下仁田等各地を廻りました。この調査には、尾高惇忠、杉浦譲も同行し、杉浦譲は、その時の様子を「客中雑記」として残しています。調査の結果、製糸場を設立すれば今後来益々養蚕業発達の見込があり、用水の便がある地勢などを考慮して富岡が適当と判断し、具体的には富岡の陣屋跡が最も適当だという見込みをたてました。

 それを受けて、明治3年閏107日にブリューナと正式に契約し、同日付で、富岡製糸場の事務主任に、渋沢栄一、玉乃世履、杉浦譲、尾高惇忠、中村祐興が任じられました。


明治3年閏1013日には、官営富岡製糸場の建設場所が正式に決定されました。そして、富岡製糸場の設計図はフランス人のバスチャンが書きました。バスチャンは、横須賀造船所の建設に携わっており、横須賀造船所で使った「木骨れんが造り」工法を応用して、わずか50日ほどで製糸場の図面を完成させました。

 こうして、いよいよ、富岡製糸場が建設されることとなりました。尾高惇忠は富岡製糸場建設の中心人物となりましたが、外国人など見たこともない人が多い土地に西洋風の製糸場を造るのですから、多くの困難が伴いました。

その困難について「新藍香伝」には次のようなエピソードが紹介されています。

工場建設用の材木を妙義山から切り出そうとした際には村人たちは、妙義山は天狗の住む山であり、その山の木を切れば、天狗が怒り、禍害を加えると大反対しました。これに対して、尾高惇忠は、「製糸場を造れば、富岡はやがて繁盛し子孫に喜ばれることになり、天狗様も喜ぶはずだ。」と言って地元の住民を説得したといいます。

 また、設計図の長さの単位はメートル法で、建築資材には煉瓦やセメントなどを使用することとなっていましたが、当時日本では、その製造方法はわかりませんでした。

 そこで、尾高惇忠は、栄一と相談し、郷里深谷の瓦製造の技術を利用することにして、深谷出身の韮塚直次郎が、深谷宿、明戸村、新戒村の瓦製造の職人を呼び寄せ、プリュナから煉瓦の製造方法を教えてもらい、富岡近くの福島村で煉瓦造りに適する土を見つけだし煉瓦を製造しました。また、セメントは、日本に昔からある漆喰でセメントの代用とすることにして、群馬県下仁田在の青倉村の石灰を主材として、郷里の下手計村の左官職人堀田鷲五郎とその子千代吉によりセメント代用品を製造し煉瓦をつなぎ合わせました。

 現在も残る富岡製糸場の木骨煉瓦積みはこのような苦労や工夫の結果として出来上がったものです。

富岡製糸場は、着工以来15か月の短期間で、明治57月に完成しました。富岡製糸場建設の中心として活躍したのが尾高惇忠でした。そして、尾高惇忠は、富岡製糸場の初代場長に任命されました。
 富岡製糸場の展示パネルにも、「開業期に関わった人々」として、渋沢栄一、
尾高惇忠、ブリューナ、バスチャンの四人の業績が紹介されていました。

尾高惇忠、富岡製糸場を建てる(「青天を衝け」171)_c0187004_18055652.jpg

こうして様々困難を乗り越えて無事完成した富岡製糸場が本格的に稼働するためには、さらなる関門が待っていました。それが工女の確保でした。そのお話は次回させていただきます。



by wheatbaku | 2021-10-19 17:48 | 大河ドラマ「青天を衝け」

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