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西郷隆盛、栄一の屋敷を訪ねる(「青天を衝け」175)

西郷隆盛、栄一の屋敷を訪ねる(「青天を衝け」175

 「青天を衝け」第31回で、西郷隆盛が栄一の屋敷を訪ね、酒を飲みながら、しみじみと語る場面がありました。

 当時の西郷隆盛は筆頭参議で、実質的な政府ナンバーワンの超大物でした。栄一は大蔵大丞とはなっていましたが、大幹部とはいえません。そんな栄一の自宅を西郷隆盛が訪ねるのだろうかと思った人もいるかもしれません。しかし、西郷隆盛が栄一の屋敷を訪ねたことは実話ですので、今日は、この話について書いていきます。(下写真は国立国会図書館「近代日本人の肖像」からの転載です。)

西郷隆盛、栄一の屋敷を訪ねる(「青天を衝け」175)_c0187004_18185479.jpg

 この話は「雨夜譚」には載っていませんが、栄一は、「実験論語処世談」を始め、いろいろな場面で語っています。

 その中で、「竜門雑誌 第461号」に載っている話が最もわかりやすいと思いますので、それを「デジタル版渋沢栄一伝」から引用させていただきます。


「(上略) それから、翌年5年の秋口であった。

 和服姿で、結髪の西郷が、神田小川町の、私の陋屋(ろうおく)へ、ひよツこり尋ねて来た。その頃の西郷は、まだザンギリ頭ではなかった。私も、意外に思ったのである。座敷へあげて、さて会って見ると、相国寺の事が想ひ出される。して又、その時といえども、一方は政府の中堅此方は一省の属吏、西郷と私の地位とは、大分の隔たりがある。従って西郷が私の家へたずねてくるというようなことは、夢想だにせなかった。

『御用がありましたら、私の方から御伺いいたします、わざわざ御入来で、却って恐入ります』

『いや、今日は君に頼みがあって参った』 彼は、こう云った。

『何でありましょうか』

『実は井上さんに話をしようと思うたが、事務は、君が執られて居る故、君に直接会うて話した方がよいと思うて参った』

『一応、御伺いたしましょう。私の力で及ぶことならば、どんなにでも致します』

こうしたやりとりがあって、西郷隆盛の依頼事の話がありました。その話は、相馬藩で二宮尊徳が始めた「興国安民法」という殖産政策がありましたが、それが廃藩置県でなくなってしまうので、それが存続できるよう西郷隆盛に依頼しました。それを承知した西郷隆盛が栄一に依頼にやってきたのでした。また「竜門雑誌」に戻ります。

『外でもない、相馬藩のものが、わしの処へ参った、あそこには、二宮尊徳以来の興国安民法といふものが行はれて居る。然るに、廃藩置県になると、此の殖産方法が、根柢からくつがえされることになる、何とか特別の取計(とりはからい)をしてやって貰えまいか』

 (中略)

「西郷は、ああいう寛弘大度の人物故、他事なく引受けて、私のところへ訪ねて来たので『ははあ、きたな』

 私は、うなづいた。相馬藩が、この制度だけは特別に旧藩に許して貰いたいというのは、今始った事ではない。

 すでに大蔵省へ運動に来ている。しかし、省としては、断乎とし拒絶した。それを、結局、西郷のところへ担ぎこんだものらしい。

『どうだ、俺は経済の事は分らんが、許せるものなら、許してやってくれぬか』

『いけません』

 少壮血気の私である。直ちに、こうはねつけた。

 相手は、維新の元勲である、さりながら、当時閣議においては、大蔵当局の意見を無視する場合が多かった。平生の意見を吐露するには、好い機会である。

 私は西郷を前において、国家財政の処理について淊々(とうとう)と弁じたてた。

『御話の興国安民法も、まことに結構であります。至極、私も賛成であるが、今日の我国は、廃藩置県がようやく行われたばかりで、国家財政の基礎というものは、一向定ってはおりませぬ。一相馬藩の都合よりも、日本全体の便宜を計るのが、当面の急務であります。されば私から申しますると、僣越(せんえつ)至極な申分ではあるが、むしろ日本全体の興国安民法が必要であろうかと存じます』

 遠慮なくこうのべると、西郷は、じっと聞いていた。その間一言も挿(はさ)まなかった。

 やがて、私の言葉が切れると『そうか』重々しい調子で云った。

『成る程、君に聞いて見ると、もっともな訳じゃ、しかし俺は今日は君に物をたのみに来たので、理窟をいわれるつもりじゃなかった』

 莞爾(かんじ:にっこりと笑うさま)として、笑ってしまったが、その寛仁大度というものは、何となしに、人を魅する力があった。

 末輩の私どもから、かく無遠慮に理窟を並べられたなら、大抵のものは、むっとするであろう。しかるに、西郷には、頓(とん)と、そういうところが見えなかった。

 多くの人々が、西郷のふところに抱かれるというのは、ここであったろうと、後になって考えた事である。

 翌年、征韓論破裂の為、西郷は、国元へ引きあげた為、私も、その後会談する機会を失った。だが暝目(めいもく)すると、彼の風姿、言動、今も尚、ありありと私の眼底にのこっている。孔子は、『恕』をいったが、西郷の如きも亦、忠恕の人であった、と、私はそう信じている。」

「青天を衝け」では、平岡円四郎や徳川慶喜とのことを思い出しつつ、今後の日本のあり方をしみじみと語るという設定でしたが、この栄一の話でわかりますように、西郷隆盛が栄一の屋敷を訪ねたのは、相馬藩で行われていた二宮尊徳による興国安民法の存続を依頼するためだったのです。 そして、この機会をとらえて、栄一は、国家財政のあり方について持論を述べています。

 ですから、西郷隆盛が栄一の屋敷を訪ねたことは実話ですが、二人が語り合った内容は「青天を衝け」の話とは違っています。
 「青天を衝け」のほうは創作だろうと思います。しかし、これまで「青天を衝け」で描かれていたことを踏まえたもので、興国安民法の存続や国家財政の話をしているより、ストーリーとしては、大変面白いものだったと私は感じました。

ところで、前述の思い出ばなしの最後で「末輩の私どもから、かく無遠慮に理窟を並べられたなら、大抵のものは、むっとするであろう。しかるに、西郷には、頓(とん)と、そういうところが見えなかった。」と栄一は語っていますが、これを語る際には、おそらく大久保利通のことも頭をよぎり、「大久保利通であれば、絶対に許さなかっただろう」いう思いも沸き上がったのだろうと私は推測しています。



by wheatbaku | 2021-10-22 13:08 | 大河ドラマ「青天を衝け」

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